Things We Said Today

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2015/12/19 団長、婚活やめるってよ~非婚宣言~
2015/11/30 人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。「だから楽しく生きるしかないのヨ。ウケケ」
2015/8/25 芸能生活50周年記念 渡哲也(ほぼ)全曲集
2015/8/24 10年目の「マンガ嫌韓流」
2015/8/18 「佐野る」の時代
2015/8/3 はじめての『西部警察』
2015/7/23 エンジン
2015/5/22 ガトリングは男のロマン!~洋画がサブカルに与えた影響~
2015/1/10 Video game addiction ~ゲーム依存という病~
2015/1/5 BASE CAMP~基地の存在意義~


12/19
団長、婚活やめるってよ~非婚宣言~

 5歳くらいのことだった。何か重要なことがあるような気がして、じっと鏡の中の自分を見つめた。その時、ふと、「ああ、僕は、かっこよくないんだ」と気付いた。つまり、5歳にして自分がキモメンで、不細工男子で、醜い容姿をしているという事実に気付いてしまったのだ。5歳だったけれど、絶望的な気持ちになった。女の子はこんな顔の僕を好きになるはずがない。同じフジ組のサヤちゃんが好きだったけれど、サヤちゃんはタケル君が好きなのだ。なぜか。タケル君はかっこいいからだ。僕はだめだ。ブサイクだ。そこまで惨めな気持ちになったことは初めてだった。

 そして、それから28年が経った。周囲がちらほらと結婚し、子どもが生まれ、僕にも結婚を意識する機会が否応なく増えてきた。いろいろ理由はあるけれど、結婚願望はあったので、婚活というものを始めた。4年前のことだ。そこからお見合いもしたし、結婚を意識した相手にも出会えたけれど、結局結婚までたどり着くことはなかった。

「恋愛は容姿が関係しますが、結婚は容姿よりも職業とか、生活力が関係します」
「※ただしイケメンに限る、というのは嘘です。女性は、清潔感があって、きちんと誠実に向き合ってくれる男性なら、応えてくれます」
「恋愛も、結婚も素晴らしい。是非、素直な自分を出して、素敵な関係を作ってください。」


いろいろな本に、雑誌のコラムに、「恋愛も結婚も素晴らしい」「だから恋愛も結婚もしよう」などと書いてあった。家族からも多少の期待と重圧があった。だから4年間、頑張った。でももうダメだ。頑張れない。僕は疲れた。

 そして気付いた。恋愛も、結婚も、僕にとって素晴らしいと思えないのだ。社会が求めるから無理に結婚しなくちゃいけないと思っていたけれど、僕はパートナーを必要としていないタイプの人間なのだ。だから、そもそも結婚しようと思ったのが間違いのはじまりだったのだ。結婚願望はあったと思っていたが、実はなかったのだ。

 僕は決心した。もう、婚活はやめる。結婚しないことにする。一人で生きて、一人で死ぬことにする。結婚という向いていないことのために努力することを一切やめることにする。これまで結婚のためにしてきた努力と労力を、自分のためだけに使うことにする。

 愛されたいなんて思わない。モテたいなんて思わない。別に結婚した人、結婚したい人を否定するつもりはない。幸せになった人だっている。それは認める。承認されたら嬉しいですよという意見がある。それも分かる。でも、そこに行き着くまでに存在する無数の否定に、もう耐えられなくなった。そんなしんどい思いをするなら、最初から自分で楽しく過ごせばよかったのだ。

 何事にも向き不向きがあって、結婚という制度に向かない人がいる。自分は向かない人なのだ。だから結婚しない。そのことを誰にも責められる筋合いはない。むしろ、恋愛をしない、結婚しない男達の地位を向上するための活動なら、できるかもしれない。結婚しろというプレッシャーから解放されて、自分で自分を認めて、一人で幸せに生きればいいではないか。なぜそれがいけないのか。結婚が社会的なステータスになるのは、おかしな話だ。結婚しない男は一人前の男じゃない。そう思う人が大多数の世の中は、おかしい。夫婦の名字が同姓か別姓かなんて、はっきり言ってどうでもいい。別姓でもいい。結婚しない男の存在を社会がもっと許容してくれるなら。

 大体、結婚しろ、恋愛しろという原稿や本を書いてくるのは、ほとんどの場合経済ジャーナリストか、マーケティングの専門家か、フリーライターだ。当たり前だ。恋愛してくれないと、そういうネタの本が売れない。レジャー施設にお金が落ちない。別に恋愛や結婚が素晴らしいから、彼らは勧めてくるんじゃない。男達が恋愛して、結婚してくれないと、自分たちの稼ぎが減るから、危機感で婚活や恋愛を煽っているのだ。恋愛資本主義の豚たちなのだ!

 調べたら30歳時点で独身の男性で、その後結婚した人の割合は15%位なのだそうだ。85%は結婚していないのだ。今や3人に1人は結婚しない時代…どころではない。30歳までに結婚しなければ、ほぼ生涯未婚なのだ。つまり、30過ぎて婚活だ、お見合いだとやっている人のほとんどは、無駄なことをやっているのだ。それでも社会がやらせるのはなぜか。彼らのカネを恋愛資本主義の名の下に、収奪したいからだ。

「外見を理由に恋愛しない男は卑怯。もっと努力して欲しい」
「結婚は、社会を矮小化させる行為。社会を支える自覚があるなら、結婚するべき。」

 そういうことを、したり顔で述べるコラムニストは、イケメンで、金持ちで、メディアを駆使したトレンディな風格をもっていて、その周囲には異性がたくさんいる。そういう人は、恋愛や結婚における上位カーストで、下位カーストに上から「恋愛しろ」「結婚しろ」という。

 僕は、顔面が下位カーストに所属している。我、5歳にしてキモメンを知る、である。こんな醜い容貌に生まれたことを悔やんだこともあったが、そういう星の下に生まれたのなら仕方がない。キモメンデブだから、ファッションセンスや、コミュニケーション能力で…そんなうわべだけのスキルで、付け焼き刃で何とかなるはずがない。

 もちろん、僕がキモメンデブかどうかは、意見が分かれることがある。「そこまでキモメンじゃないよ」「フツメンだと思う」と言ってくれる人も、これまでいた。それは感謝している。大体、美醜の基準は人によって変わる。もしかしたら、僕をイケメンだと言ってくれる人も世の中にいるのかもしれない。でも、そんな「かもしれない」なんて行動は、交差点に進入する時の「車が来るかもしれない」だけで十分だ。自分でキモメンデブだと自覚しているなら、それでいい。5歳の時の直感は、きっと、正しい。

 そもそも、恋愛はコスパが悪いなんてものじゃない。コスパが悪くても必要なら買うだろう。無駄なのだ。虚無なのだ。相手を愛そうと、誠実に向き合っても、相手は去って行くのだ。そのうちに、誰と会っても「どうせこの人も去って行くのだな」という絶望しか感じなくなった。もう一度言う。虚無だ。もはや寂滅だ。そんなことのために、労力と気力と財力を注ぐなら、一人で楽しく生きるべきなのだ。誰かが「責任ガー」「社会の一員ガー」などと言ったところで、もう僕の心には、何も響かない。そういうことを言う人の大好きな日本国憲法にも書いてある。「思想信条は自由である」と。公共の福祉に反しなければという但し書きはあるが、結婚しない男が公共の福祉に反しているなら、世の中の男の3割が反していることになる。

 イケメンで、金持ちで、趣味がフットサルで、同性の友達がたくさんいて、明るくさわやかで、毎年3回彼女をネズミーランドに連れて行ってくれる男はどんどん恋愛して結婚してくれればいい。でも僕は無理だ。キモメンで、貧乏で、趣味がプラモデルで、同性の友達は少しで、ネズミ王国なんて中学の修学旅行が最後だ。我慢して、趣味を変え、ネズミの国へ行ったところで、苦しさだけが先に来る。だったら一人で幸せに生きるという選択肢だってあるはずだ。

 結婚しない。結婚できないでもいい。なんでもいい。もう婚活をやめる。だから、一人で生きる。好きに生きて、好きに死ぬ。非婚、否婚の時代、僕もその中の一人になって、生きていきたいと思っている。だから、今からプラモデルを作って一日過ごす。独身万歳!


11/30
人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。「だから楽しく生きるしかないのヨ。ウケケ」

 友人のカミさんがご懐妊という一報。よかったなあ、おめでとう。その一方でふと、思うことがある。



「俺は何をやっているのだろう」

 仕事はぼちぼちやっている。趣味も楽しい。一人でも楽しく生きている。けれど、ふと、思う。人生ゲーム的に、お前、まずくないか、と。

 正直、焦る。婚活はしている。色々見合いもした。けれど、決定的に結婚まで行かない。まあ俺の問題も多々あるんだろうけれど、何か自分に決定的な欠陥があるのかと思うことがある。まあ欠陥があるからオタク道極めちゃってる面があると思うんですけど。

 一人で生きて、最後は一人で焼かれるのかもしれないと思う。それは怖い。だったらせめて、お前は何歳で、一人で死ぬんだよと宣告してほしい。結婚なんか、そもそもそこまで趣味を持った人間には不可能なのだ、あれもこれもほしがるな。そういう超越的な絶対者に、はっきりと言っていただきたい。そうすれば居直って平然と趣味に邁進できる。一人で死ぬかもしれないから怖いのだ。一人で死ぬ事が確定したなら、何も怖くないはずなのだ。大体、家族をもつことの適性がない事くらい、30年も生きていれば分かっている。

 手塚先生のブッダだったかな、「王様はあと何年で死にます」って宣告されて、それからその日までずっと伏せってしまう話があって、ガキの頃自分もそう言われるとそうなるかなあと思ってた。そういえばそれに似た話、五島勉先生の「ノストラダムスの大予言」第1巻にも出てきてましたねえ。あれ全部創作だったそうですけど。

 今なら思う。後何年で死にますという宣告。あれを聞いて逆にほっとする人間もいる気がするのだ。じたばたしようが、何しようが、いつか人間は死ぬのだ。ガンプラを作ろうが、子どもをたくさん作ろうが、何かこの世に名を残そうが、特に取り立てて何かしたわけでない人生を送ろうが、最後は人間は死ぬ。この世の中でたった一つ確かな事は、遅かれ早かれ人は誰もがいつか死ぬというただ一点に尽きると思っている。

 人はいつか死ぬ。これを書いている僕も、これを読んでいるあなたも。あなたの周りにいる人も、いない人も、いつか死ぬ。

 大学1年の冬、故・河合隼雄先生のお話を聞く機会を得た。「人間だけが、幼稚園くらいの頃に、漠然と、人間はいつか死ぬということを理解する動物である」と言われていた。

 実際には、ゴリラやチンパンジー、霊長類に関しては仲間の「死」を理解しているようだし、イルカやクジラもどうもそういう面があるかもという研究が進んでいる。(だから食べてよくないとか、漁をしてはいけないとかの話は別である)

 近所でクルッポーとキチガイみたいに叫んでいる鳩だって(あっちの鳩ではありませんよ)、いつか自分が死ぬことを知っているかもしれない。養豚場のブタは、精肉場へ運ばれるときには、激しく抵抗するという。そういえば、どこだったか、保健所のベルト・コンベアに乗せられた犬の写真を見たが、何か悟りきっているような表情だった。犬だって猫だって、いざというとき、自分の死を覚悟するのかもしれない。

 子どもの頃だった、夏の終わりに瀕死のツクツクボウシを拾った事がある。もう飛ぶ事もできない。オスだった。弱々しく、ジジ、ジジとだけ鳴く。すぐに死ぬ事など分かりきった話だ。それでも、何とかできないかと思って、家に持って帰った。部屋の中にあった、ポトスの鉢にとまらせた。弱々しくも、最後の力を振り絞ったそのセミは、ポトスの茎から末期の水を少し飲むと、ゆっくりと鳴き、ついに事切れた。僕はその瞬間に立ち会えた事に、何か、荘厳なものを感じた。何もできなかったかもしれないが、何か一つ、よかった事をしたのかもしれないと思った。ガキの頃からセミなんざ何百匹と殺した鬼畜外道のクソガキだったが、それがきっかけになって、虫取りをぴったりとやめてしまった。

 この前、「家栽の人」(家裁の人じゃないから念のため)の原作者、毛利甚八さんが亡くなられたけれど、あのマンガ、後半に変な学者が出てくる。僕はあのマンガを中学生の頃好んで読んだけれど、その中身の大半は忘れている。ただ覚えているシーンは二つあって、ラストのワンカット以外だと、その学者が初登場するシーンしか覚えていない。

 「生きとる、生きとる」と繰り返す学者は、主人公の桑田判事に叫ぶ。「見ろ!死だ!」死んだ昆虫に、小さな虫たちが集まっている。「美しいだろう?」

 死を美しいなどと考える発想がなかった僕にとって、これは鈍器にも似た衝撃を与えてくれた。まあ実際鈍器で殴られた経験はないんで、あくまでも比喩ですよ。とにかく、死というものに美しさがあるのだという視点は、中学生の、特に中二病をこじらせて罹患していた(そして今も治っていない)自分にとって、目から鱗が落ちるような感覚だったのだ。毛利先生には、家庭裁判所がいいところだというイメージを育てていただき、後に両親がごたごたして家庭裁判所に呼ばれたときも「桑田判事みたいな人にならきちんと話せる」と前向きな気持ちで行くことができた。実際には桑田さんみたいな人はいなかったけどな!なんにせよ、毛利先生は、17くらいで終わってたかもしれないガキの命を、とりあえず33まで生きながらえさせてくれた恩人の一人である。心よりご冥福をお祈りします。

 もちろん、獣たちにとって、目先の生死の方がその先にある生死より重要なんだろうなとも思う。今日のえさがあるかないかが、そのまま死に直結する。だから、この先自分がいつ死んで、いつ焼かれるか、あまり考えているようには見えない。

 僕だってそうだ。たぶん、今日の仕事の方が、先々いつになるか分からない「死」よりも重要なのだ。だが、ふと思うのだ。人は、いつか死ぬ。一人で。ひっそりと。どこかで。

 「無敵超人ザンボット3」の、人間爆弾の回で、それまで香月の仲間の、その他大勢に過ぎなかった(ようはモブキャラですね)浜本というキャラが、人間爆弾に改造されて、死を宣告される展開になる。

 主人公たちのもつ、異星人の技術を使っても、体に埋め込まれた爆弾を取り除くことはできない。「一人で死ぬよ。最後くらいかっこつけさせてくれよ」浜本は言うが、最後は見苦しく、泣き叫びながら死んでいく。取り押さえられ、「いやだぁー!誰もいないところで死ぬなんていやだぁー!父ちゃん、母ちゃん、助けて!」その叫びが合図になったのか、首筋の星が輝き、浜本の肉体は爆散する。

 孤独死は不幸かもしれないが、家族が大勢いても、死の床で遺産の分配を話し合っている様は悲哀である。人間は哀しい。生きることは寂寥を抱えることであり、また、寂滅である。

 沖雅也さんは「人は死を免れることはできない」などと死ぬ前に読んだ聖書(部屋に置いてあったらしい)から心に響いた文言を書き殴って、「涅槃で待ってる」と京王プラザホテルから飛び降りた。当時のマスコミは、その遺書は聖書の受け売りということで切り捨て、沖さんが養父の日景さんと不可解な関係であることをおもしろおかしく書き立てたはずなのだが、あの時、死を決意した沖さんが、心に響いた言葉が、あの言葉だったのだとしたら……もちろん本当に言いたかった事は、裏面に書いた涅槃の二文字なのだろうが、何か老いること、死を免れない宿命、そういったものへの絶望感が沖さんにあったような気がするのだ。

 死を直視すると、人は立ちすくむ。生きる気力をそがれる。不安というものが、人の心をふわふわと、落ち着かなくさせる。何も手に付かなくなる。迷う。あるいはふと思う。俺も死んでしまおうか、と。

 だが。別に、また、ふと思う。死が宿命ならば、生もまた、宿命なのである。死を考えるとき、また、生を考える。生きる気力はないかもしれないが、案外、死ぬ気力もない。もうちょっと、現世で、道楽に興じて生きるのもよいのではないか。慌てて死ぬ事はない。どーせそのうち死ぬのだから。

 それに、結婚できないという悩みは一つだが、結婚すれば悩みは一つじゃなくなるのだ。結婚を強いる世の中の方が間違ってるかもしれないでしょう!(←中二病風)

 だいたい、子どもがほしいかと言われると、自分という人間のカルマを子どもに背負わせることに、申し訳なさを感じるのだ。正直、僕という鬼子のような人間が、子どもをこしらえることに、幾ばくかの抵抗が存在している。ちなみに、こういう考え方をする人は自分に限らず、家庭環境で苦労した人間に多いらしい。今の時点で息子が生まれてご覧なさい。生まれる前からオタクになる事が決定ですよ!

 そこでふと「ブレンパワード」を思い返す。「命の力を、逃げるために使うな!生きるために使わせるんだ!」あれは名台詞だった。

 死への恐怖が、生への渇望に変わる瞬間は、必ず存在する。死を恐れる人間こそ、案外、生きることにどん欲だ。水木しげる先生は、死を恐れていた。そして死を恐れていなかった。生にどん欲だった。早くワシは死なねえかなと漠然と思っている人だった。矛盾する感情を抱えながら、それをひょうひょうと表現し、多くの読者の心をつかんだ。

 生と死という、単純な図式で表せない、何か達観した哲学を得て、今日、逝った。はっきり言う。お見事だ。うらやましい。俺もあんな風に生きて死にたい。きっと、多くのファンが思っているに違いない。

 100まで生きられなかったのは、ご本人には不本意だったろう。残されたファンは何歳で逝かれようが、残念に思う。しかし、悲しみよりももっと不思議な、ぬくもりのようなものを水木先生は残された気がする。水木しげる先生は、亡くなられたのではないのだ。クラスチェンジしただけなのだ。そもそも20年くらい前から、水木先生は妖怪と同化していたと思っているのだけれど、そう思っている人は僕だけではないはずなのだ。

 水木しげる先生の肉体は、消滅した。しかし、水木しげる先生の魂というべきものは、間違いなくこの世とあの世の間で、勝手気ままに行ったり来たりする。それを私たちは知っている。「アハハ、おかげで便利になったヨ」なんて思っているかもしれない。トペトロやエプペ、ニューギニアの森の人々と、久々の再会を喜んでいるかもしれない。手塚先生や石ノ森先生に「ね、だから寝なきゃダメなのヨ」と、あたたかなお説教をされているかもしれない。

 だから、僕は、水木しげる先生に、「ご冥福をお祈りします」とは言いたくないのである。お目にかかった事は一度もないけれど、「早く化けて出てきてください」なのである。ガキの頃から、水木先生のマンガ、著作、文章、様々なものが僕の中に、血肉となって、生きている。会った事はないけれど、恩師だと思っている。普通そう言う事を言うとばかばかしいと切り捨てられそうだが、そういうことを許してくれる度量が、水木先生にはあると思うし、これからも水木先生の作品に触れて成長できた事を、僕は誇りに思う。

 ガキの頃、ねずみ男は卑怯で、ずるくて、やなやつだったけれど、大人になった今、僕は、卑怯でずるくて、やなやつになった。ああ、人間は、鬼太郎から、ねずみ男になっていくのだ。そして僕は、いつしか、ねずみ男みたいになったのだ。

 毎日の仕事に追い立てられながら、彼女ができねえなあ、結婚できねえなあとぼやきながら、うまい儲け話と抜け道を探し、世渡り上手に生きてみてえと嘆く。特に信念があるわけでもなく、勝ち馬に乗る事だけは抜け目なく、さりとて決定的な悪党に堕ちることもなく、それなりに生きている。それがよくないことだと分かっているけれど、そういう風にしか、生きられない、男の悲哀とか、哀愁みたいなものを、ねずみ男はその存在だけで表現してくれる。水木しげる先生最大の功績は、みんな言ってるだろうが、ねずみ男を世界に紹介した、それに尽きると思っている。

 水木先生、ありがとうございました。僕は、あと何年か、ねずみ男みたいに生きて、死にます。次生まれるときは、(希望者多数でしょうけれど)本物のねずみ男に生まれさせてください。合掌。


8/25
芸能生活50周年記念 渡哲也(ほぼ)全曲集

 昨年飛び込んできた高倉健さんの訃報。多くの人が衝撃を受けた。もちろん、私も。私は歯ぎしりをして悔しがった。「これで渡哲也さんとの共演が、永遠の幻になってしまったではないか!」日本の映画関係者と神を呪わずにはいられなかった。健さんと渡哲也さんが共演した作品ならば、おそらく「男のバイブル」としてあがめ立てられるような、そんな傑作になったはずなのである。

 渡哲也という名前を聞くとき、ある世代より上の人は何か、哀愁のような響きを感じ取るような気がする。ハンサムとか、イケメンとは違う、硬派な男っぷりのいい面構えもさることながら、節目ごとに彼を襲う悲劇的な運命と、惚れた男と組織のために一生を捧げた姿が、どことなく自分自身に重ね合わせてしまうような気がする。ここら辺、高倉健さんはある種ファンタジー世界のヒーローであり、「俺とは全く違う」存在なのだが、渡哲也さんというのは、「どこか俺もそうだよなあ」と感じる存在である。それは、健さんが銀幕に対して、渡さんがテレビという異なる(俗なる)世界で活躍してきたことも、無縁ではないかもしれない。

 渡哲也さんは、石原裕次郎さんにあこがれて芸能界に入り、その裕次郎さんにあいさつした際、「君が渡君ですか、頑張ってください。」と礼儀正しく挨拶されたことに感銘し、というか惚れて、その後石原プロモーションに入社した。それによりテレビドラマ「大都会」「西部警察」出演がスケジュールメインとなり、多くの映画出演がかなわなかった。これもまた、健さんとの共演がかなわなかった遠因である。

 「西部警察」終了後も、「私鉄沿線97分署」「ただいま絶好調!」「太陽にほえろ!」「ゴリラ 警視庁捜査第8班」「代表取締役刑事」「愛しの刑事」「大河ドラマ 秀吉」など、刑事ドラマを中心に、重厚な存在感というか、石原裕次郎さん亡き後の「ボス役」として活躍してきたのである。

 石原プロモーションという組織のために、俳優としての個人的な思いを犠牲にして、尽くしてきた。ある世代から上の人にとって、会社のために、組織のために自らを犠牲にしてきた人々にとって、渡哲也さんという人は、自らの分身であり、理想の姿だった。男気、ダンディズム、渋さ、いろいろな表現があるが、小林旭さんでなく、宍戸錠さんでなく、高橋英樹さんでなく、「渡哲也」が他の日活スターたちと別格なのは、多くの人が自らに重ね合わせてきた側面があったはずなのだ。そう、「渡哲也」こそ、男の中の男といっても過言ではないのである。だからこそ、裕次郎さんは弟のように愛し、舘ひろしさんがめろめろになって石原軍団入りし、多くの若い世代の俳優たちが、渡哲也さんのかっこよさにしびれてしまう。それは、まだ32歳の私とて例外でなく、渡さんを男のお手本と思っている。

 さて、日活スターといえば、例外なく歌うことが義務づけられていた。「タフガイ」石原裕次郎さん、「マイトガイ」小林旭さん、「ダンプガイ」二谷英明さん、「トニー」赤木圭一郎さん、「やんちゃガイ」和田浩治さん、「エースのジョー」宍戸錠さん……前述のメンバーで歌っていたことが後世に残るとすれば、裕次郎さんとアキラさんくらいだと思うのだが、当然ながら渡哲也さんも歌っているのである。しかも、紅白歌合戦に2度も出演しているのである。

 実は、渡哲也さんは、日活スターの歌手活動の中では、割と成功している方である。今回は、1965年のデビューから芸能生活50周年を記念して、渡哲也さんの歌の魅力をご紹介したいと思う。

 まず、渡哲也さんの歌であるけれど、この原稿のために数時間聞き込んだ私が断言する。みんな同じである。

 あ、言っちゃった。でも事実。題名と歌詞が違うだけでほぼみんな同じ曲。っていうか聞けば聞くほど苦痛になる。最後の方は吐き気を感じた。よい子のみんな!渡哲也さんの楽曲は1日1曲にしよう!それでも渡哲也さんの男の雰囲気が素敵、かっこいいという人(いればだけど)のために、そして、ネット上で誰も楽曲のバージョン違いに触れないことから、その記録として書いておく。

 まず、楽曲のバージョン違いと言うこと。渡哲也さんは、最初にクラウンレコード(日本クラウン)からデビューして、その後ポリドールレコード(現ユニバーサルミュージック)に移籍。トーラスレコード(後にニュートーラスと改称した後、解散してユニバーサルミュージックに統合)と来て、現在はウェブクウに在籍している。クラウンに所属していた当時、なぜか「東京流れ者」の別バージョンをテイチクレコードから出しているのだが、何しろ誰も歌手として渡哲也さんにスポットを当てないから経緯は不明である。

 昔は、レーベルを移籍すると、前吹き込んだものは原則使えなかった。最近はCDがあまりにも売れないので、会社の垣根を越えたコンピレーションが実現しているのだが、前は違った。そういうわけで、渡哲也さんについては、「クラウン版」「ポリドール版」「トーラス版」「ウェブクウ版」の、最大4種類のバージョンが存在していることになる。現在、ポリドールとトーラスはユニバーサルミュージックになっているので、CDによって音源が違っていることがある。ただ、音源が違ってもそれほど大差ないというか、もう一度言うけれどはっきり言ってどれもほぼ同じで、このバージョン違いを聞き比べることは、ものすごく難しい間違い探しをやっているような感覚になるので、よっぽどのマニア以外やることをお勧めしない。

 で、ここから詳しく説明するのにいちいち説明するより、表にまとめるので、その表を見ながら読んでいただきたい。なお、表の中に「クラウン版」がないのだが、理由はクラウンから出した曲は原則日活時代の映画主題歌で、ほぼカバーがないのである。唯一、「流浪」という曲だけはトーラス版が存在するのだが、はっきり言って「だからどうした」程度の話である。そういえば、クラウン時代には「嵐を呼ぶ男」もリリースしている。オリジナルは石原裕次郎さんなのだが、台詞や歌詞が一部変更されているし、個人的にはこっちの方がちょっとカッコイイ。「嵐を呼ぶ男」の渡さんバージョンは、一部のコンピレーションアルバムなどで割と簡単に聞ける。

ポリドール版 トーラス版 ウェブクウ版

くちなしの花
水割り
あじさいの雨
みちづれ
ひとり
朝やけ
日暮れ坂






寒暖計


夜霧よ今夜も有難う
通り雨
わかれ花

くちなしの花
水割り
あじさいの雨
みちづれ
ひとり
朝やけ
日暮れ坂


あいつ
風蕭蕭と
雨降り花





夜霧よ今夜も有難う
通り雨
わかれ花

くちなしの花
水割り
あじさいの雨
みちづれ
ひとり
朝やけ
日暮れ坂


あいつ
風蕭蕭と
雨降り花


寒暖計




「ゴールデン☆ベスト 渡哲也」 トーラス時代のアルバムほか、廉価版ベストに多い ウェブクウから出た作品のうち上記の曲は2003年のセルフカバー版。

 見てもらえれば分かるけれど、「3種類のバージョンがあるもの」「トーラスとウェブクウの2バージョン」「ポリドールとウェブクウの2バージョン」「ポリドールとトーラスの2バージョン」に大別される。私は今回、ポリドール版の寒暖計以外は全て聞き込んだので(ものすごい苦行)間違いなくバージョンが違うと断言しておく。

 3種類あるものが、原則渡哲也さんの代表曲と言って差し支えのない曲である。「くちなしの花」は、あまりにも古くさい演歌で、石原裕次郎さんは「テツ、この曲がヒットしたら、俺は銀座の街を逆立ちして歩いてやるよ」と冗談めかして語ったそうであるが(※)、ミリオンヒットとなり、紅白歌合戦への出場もしている。

※ちなみに石原裕次郎さんが売れないと言った曲はヒットするというジンクスがあったそうで、そういう意味ではジンクス通りといえる。

 「ひとり」と「日暮れ坂」は、日本テレビ系列で放映された「大都会PART-II」と「大都会PART-III」の主題歌である。実は、劇中使用された曲は、ポリドール版と、トーラス版とも違う、「ドラマ版」なのだけれど、そちらのバージョンはリリースされていない。

 「みちづれ」は、渡さんの曲と言うより、後にカバーした牧村三枝子さんのバージョンが有名だが、元々は渡さんの曲である。今回調べてたら、何人もの歌手がカバーしていて、美空ひばりさんのバージョン(テレビのみ?)、北朝鮮バージョンも確認している。牧村三枝子氏に提供するに当たって、ポリドール時代の渡哲也さんが自身のバージョンを封印したという美談が語れているが、どっこいトーラスでもウェブクウでもちゃんと歌っている。どないやねん!

 「風蕭蕭(かぜしょうしょう)と」は、テレビ朝日系列で放映されたスペシャル時代劇「かかしの半兵衛」の主題歌だったらしい。渡さん自身が思い入れがあるらしく、ウェブクウから2006年に芸能生活40周年記念でリリースされた2枚組パーフェクトベストの限定版(現在入手困難)には、アコースティックバージョンが収録されている。ただし、このアコースティックバージョンは、歌トラックが2003年のセルフカバー版の使い回しで、カラオケのみ付け替えた仕様になっている。まさかと思って何度も聞き比べた(何度も言うけど苦行)が、間違いなく同じ歌声である。ウェブクウこの野郎!1000円余分に払ったカネ返せ!

 これらバージョン違いは、最近のものだとデジタルリマスタリングされるので、聞き比べにかなりの時間を要した。本当に大変だった…。

 逆にバージョンが違わない曲も存在している。作詞・作曲と、コーラスを小椋佳さんが担当した「流氷の街」(「ただいま絶好調!」主題歌)や、デュエット曲「ラストシーンは見たくない」(松坂慶子さん)、「わかれ道」(いしだあゆみさん)、「花あかり」(牧村三枝子さん)、「めぐり逢いしのび逢い」(多岐川裕美さん)などは何度聞いても1種類しかなかった。ちなみに、テレビで披露しているものをYouTubeで確認したが、レコード音源に差し替えたいわゆる「口パク」で、ライブは別として、歌番組できちんと歌っていることが確認できているのは、紅白歌合戦の2回のみである。

 それから、ある意味レアなのが「ありんこ」「冬の駅」「北の駅舎(えき)」の3曲。「ありんこ」は「代表取締役刑事」の主題歌だったんだけど、ちょっとポップス演歌歌わせてみようかなというディレクターの思惑が垣間見える楽曲になっている。何度も言うけれど、渡哲也さんの曲はどれも基本的に同じなんだけど、この3曲だけは明らかに違う曲調になっている。一方で、曲はかっこいいのに「おい、これ、歌いにくいよ!」という渡さんからの苦情みたいな雰囲気も曲の節々から伝わってくるので、ファンとしては聞いていると「渡さん大変そうだなあ」と思ってしまう。ただ、カラオケのDAMに「冬の駅」は、「ありんこ」のカップリングだったのに入っているので、この曲の良さを理解した渡哲也オタクが他にもいるらしいと思って、かなり嬉しくなったのも事実だ。でも「冬の駅」なんてマニアックな曲、普通は知らないよ!

 それから「西部警察PART-II」の「俺の愛したマリヤ」という話では、劇中スナックのカラオケという設定で当時の新曲「無理をするなよ」を歌っている場面がある。これはトーラス版しかない上に、その後の全曲集から省かれることが多かったため、手に入れるのにものすごく苦労した。なんで1曲だけのためにプレ値でCD買わねばならんのだ!トーラスこの野郎!

 それ以外だと「春来川(はるきがわ)」「青春ばんから」「ほおずき」「夜霧のブルース」なども渋くてかっこいいのだが、基本的に知名度が低すぎるので、カラオケで歌った場合、自爆確実である。そういう意味では、渡哲也さんの曲と言えば、とりあえずおっさん世代か、おっさん世代をよいしょする世代は「くちなしの花」と「みちづれ」を押さえておけばあとはどうでもいいっていうか、何度でも言うけどみんな同じで数時間聞いてると苦痛を感じるので、素人さんは手を出さない方がいい。

 なお、本稿を書いてる上での未確認情報だけど、北朝鮮の故・金正日総書記は、渡哲也さんのファンだったらしい。映画の方だと思うけど、もし歌手としてもファンだった場合、何の曲が好きだったのか、ちょっと聞いてみたいのは私だけだろうか。

 なんにせよ、よい子の皆さんは、こんな不毛なことに時間を使う大人になっちゃあいけませんよ。渡哲也さんの曲は、ほどほどに聞くようにしましょう。トホホ。


8/24
10年目の「マンガ嫌韓流」

 「近頃の若い奴らはだめだ」などと学生時代から言われてきた。32歳になって、少し今時の若者からおっさんの仲間入りをしつつある私だが、確かに「最近の若い人」に、違和感を感じることが増えてきた。私もおっさんになったというべきなのかもしれないが、時代の変化が大きくなってきたといえるかもしれない。

 別にだらしがないと言うつもりはない。ただ、ずいぶん語彙が貧相になったなあ、読解力がなくなったなあ、と思っている。冷静に考えると同じことを私も上の世代から言われてきたので、日本人の読解力や語彙は貧相になってきているのかもしれない。

 読解力というか、メールができない若者がいるという。LINEのスタンプか、一言しか言わないから、メールの書き言葉すら使いこなせないという。私の頃は、メールばかりで手紙が書けないなどと批判されたから、そういう意味では退化しているのかもしれない。

 そのせいか、ずいぶん流言が広がりやすくなった気がする。昔から、インターネットは流言が飛び交いやすい場所だったけれど、昔に比べて今はSNSの時代だからか、何か起きればすぐデマが広がる。ツイッター、ブログ、フェイスブック、ありとあらゆる場所を震源として、嘘が広がる。意外にもホームページなどのウェブサイトは少ない気がするが、それはウェブサイトの場合、HTMLをいじってアップロードしてという手間が掛かる上に、検索で反映されるようになるのも遅いからだろう。

 そういう読解力が低下した若者世代の中で、「マンガ嫌韓流」の存在感がじわじわ大きくなっているらしい。それほど大きな割合ではないけれど、じわりじわりと、水気が布地にしみこむような、そんな広がり方だ。あれから10年が経過し、過去の書となりつつある人も多いと思うが、この本について、なにがしか区切りというか、まとめておいた方がいいと思って書いている。

 昨年出版された「さらば!ヘイト本」(ころから)の中で、木村元彦氏が晋遊舎の編集者と偶然知り合い、「あれは本を売るためにネット上の記事を適当に集めて、山野車輪氏に描かせたものです」という証言を引き出し、「これでマンガ嫌韓流は終わった」と鬼の首を取ったかのようなはしゃぎ方をしていた。この部分については、晋遊舎の公式見解ではないし、なぜ山野車輪氏本人に当てなかったのかという疑問があるのだが、それより何より「ネット上の記事を集めた」ことが新事実だと思っているならおかしいなあと思ったのだ。10年前、マンガ嫌韓流を買った人からすれば、内容の大半がネット由来であることに何の驚きもなかったからだ。「何を今更」である。

 2004年頃、嫌韓を主張する人々は焦っていた。私も焦っていた。2002年のワールドカップ以後、表面的には日韓関係が良好となり、冬のソナタをはじめとする韓流ブームが広がる中で、「このままでは日本が危ない」という危機感を強めていた。歴史問題で世界に日本の悪事を喧伝し、日本海を東海と書き替えさせ、世界中で「竹島(独島)は韓国のもの」と落書きしまくる反日国家に、気を許すことに大きな警戒感があった。

 ところが、そういう警戒感は、一般的に「差別だ」と批判されることが普通だった。こっちは韓国人を人種差別するわけではなく、韓国の政策や外交姿勢、反日姿勢を批判しているのに、「差別はだめだ」の一点張りで主張が封じ込められ、マスメディアから韓流をブームとして塗り込められることに、大きな焦燥感があった。

 おそらく、日韓間にある問題そのものを、多くの人は知らないのではないか。ならば、日韓問題の入門書になるマンガを作り出すのはどうか、というアイデアを私は考えていた。ところが、重要な問題があって、私は絵が描けなかった。だから、マンガで日韓問題を描くというアイデアはあったが、実現させることなくしまったままだった。私ですらそういうアイデアをもっていたのだから、ある程度の人に「啓発書」や「入門書」として、何か出せないかという案は存在していたはずだ。

 だから、「マンガ嫌韓流」が出ると決まったとき、ものすごい衝撃を感じた。感情はものすごく複雑だった。「そのアイデアはあったんだよなあ」という悔しさのようなものもあれば、「ついに出るな!」という高揚感のようなものもあった。「これは絶対に売れないといけないな」という感情も感じた。山野車輪氏は出版後数日で工作員に殺害されるに違いないとも思った。しかし、それと同じくらい驚いたのが、出版が晋遊舎だったことだった。

 前述「さらば!ヘイト本」では、晋遊舎の編集者が「うちはもともと高尚な出版社じゃないんで」とうそぶく部分がある。木村元彦氏は知らないと思うので書いておくが、10年前、晋遊舎はエロマンガ業界最大手の一つだった。どこかでカウンター関係者が「晋遊舎は何でも、元々はエロ出版社だったらしい」などと述べていたが、らしいではなく、事実エロに関して非常に優秀な出版社だった。社会派からエロマンガまで詳しい私が断言する。晋遊舎のエロマンガは素晴らしかった。青少年のマスターベーションのお供に、これほど優秀な素材を提供してきた出版社はない。今でこそ普通の本が増えてきているが、マンガ嫌韓流が晋遊舎から出ると聞いたとき、私は「晋遊舎がアダルトじゃない本を手がけてる!」という意味で、大きな衝撃を受けたのである。

 その後、ネット上でお祭りが起きた。「どうせ中身はネットに落ちてることと大差ない」「わざわざ買って読むほどの中身はない」しかし、それでもみんな買うことを決意したのは、「これが売れれば、日韓問題の風向きを変えることができるかもしれない」と思ったからだ。マンガ嫌韓流を買って、日本を守ろう。そんな心意気だった。だからバカ売れした。その後の嫌韓本がいまいち売れないのはマンガじゃないからではない。インターネット世界で、「買う」ことに対する奇妙な一体感が起きたからだ。集団の暴走というべきかもしれない。10年前のこの一体感は、経験していない人にとって分かりづらいと思うが、似た事例で言えば有田芳生参議院議員が、「日の丸街宣女子というマンガがけしからん」と発言したら「ならみんなで買わなきゃ」というすさまじい勢いで売れた、あれのもっと激しいバージョンだったと思ってもらえればいい。

 10年経って、改めて「マンガ嫌韓流」を読み返すと、絶妙なバランスでできた本だなあと感じている。ここまで見事だと、かえって気持ち悪いくらいだ。事実、嘘ではないけど微妙に違うこと、明らかな嘘、これらが絶妙なバランスで配合されている。「さらば!ヘイト本」では、木村元彦氏が「全部でたらめだ!」と息巻いていたが、全部でたらめかというとそうでもない。(でたらめってことにしたいのは分かる。理由は後述するが、これを真に受けた人のおかげで深刻な事態に陥っているからだ) もちろん、嘘の部分も多い。在日コリアンに対する特権については、その後否定された部分もほとんどである。日韓基本条約については、荒唐無稽だと左巻きは主張するが、日本政府の基本的な立場をなぞっているわけだし、竹島問題については荒唐無稽と主張する方が無理がある。どこまでをデマとするかは、個人の思想信条によって印象が変わるような部分も多い。だから始末に負えない。

 改めて読み返してみると、2002年のワールドカップというのは、大きなきっかけだった。木村元彦氏、安田浩一氏、様々な人が日韓問題の話になったとき、ワールドカップを持ち出す。実際私もそこで嫌韓になった人だから分かる。だが、それ以上に大きな変化が起きていた。それは、日韓ワールドカップは、韓国への信頼感以上に、マスメディアへの信頼感を大きく破壊したことに関係している。それは、「マンガ嫌韓流」にも、如実に表れている。

 第一章は、サッカーワールドカップの誤審に関わる話が出てくる。明らかに誤審ながら、そのことをメディアが不自然に報じなかったことが取り上げられる。もしかすると、審判は絶対だからとあえて触れなかったのかもしれないし、友好ムードに水を差したくなかったのかもしれない。だが、その後誤審と認められながら、メディアは露骨なまでに取り上げることを避けてきた。状況証拠しかないが、不自然な面が多々ある。

 「マンガ嫌韓流」では、サンデーモーニングの石原発言ねつ造事件も取り上げられている。「侵略戦争を肯定するつもりはない」という発言を、「肯定するつもりだ」とテロップを入れてしまったことだ。もしかすると、単純なミスだったのかもしれない。素材のVTRを最初から最後まで見ておけば、「するつもりはない」を「するつもりだ」なんてテロップをかぶせることもなかっただろう。だが、下請けの劣悪な環境下で、慌てて作ったVTRに石原慎太郎氏のかすれた語尾も相まって「石原氏ならこういう風に言うだろう」という先入観から付けたのかもしれない。だが、それ以前のワールドカップの頃から「メディアはおかしいぞ」という意識は、「メディア=反日=嘘つき」という認識に広がっていったのである。

 安田浩一氏、木村元彦氏はじめ、「マンガ嫌韓流」の「嫌韓」部分ばかりをことさら問題だと主張している知識人は多いし、パク・イル氏のように「マンガ嫌韓流」の歴史認識に批判的な人もいる。だが、「マンガ嫌韓流」の最も根深く、病的な部分は、「マスメディアは反日」という部分であるように思う。それは、何かをマスメディアで主張しようと、「やつらにだまされるものか」という話に収れんしていくからだ。「マスコミは電通に操られている」「電通は在日組織だ」「日本のマスコミは在日に支配されている」といった、陰謀論が「マンガ嫌韓流」以後大きな声になっていった。私自身は、そういう話は荒唐無稽だと思うが(確かに電通の元会長は韓国生まれで、なにがしかシンパシーを持っていたとは思うけれど)「そんなバカな」という主張をメディアで言っても、信じてもらえないのだ。

 マスメディアへの不信感に凝り固まった人は、テレビ、新聞、本、そういった旧来のメディア一切を拒む。確かに、メディアは「報道しない自由」があるし、不偏不党ではないし、世論を煽る。それによって何かが起きても、責任を取らない。政府や政権与党がすることは全て絶対悪で、野党が反対していれば無条件で絶対的正義。総理大臣は全員すべからく極悪人で、日本を戦争へと駆り立てるファシストで独裁者である。中国韓国北朝鮮が大切で、アメリカがすることはすべて悪。そういう報道姿勢がおかしくないかと言われれば、確かにおかしい部分はある。特に、マスメディアの人々が無責任であること(マスメディアが煽って民主党政権ができて、その後はご存じの通りである)、その年収、ある種の特権階級のような傲慢な振る舞いの数々(貴族様かよとも思う)に「おかしいな」と思う部分は確かにある。

 さらにいえば、「マンガ嫌韓流」が出たとき、当初朝日新聞のAmazonベストセラーランキングから不自然に消された事例もマスメディア不信に拍車を掛けた。「やっぱり、朝日新聞は韓国の手先なのだ」という話がでたし、朝日新聞をはじめ各社が「マンガ嫌韓流」の広告掲載を拒否したらしいという話も出回った。

 とにかく、マンガ嫌韓流に関して言えば、当初買い支えた購買者というのは嫌韓であるとともに、「反メディア」思考であり、旧来の価値観に対するカウンターパンチの象徴のような存在価値を「マンガ嫌韓流」に感じていたように思う。民族差別といった思いより、「これで日本を変えよう」「反日勢力に負けるか」という、かなり純粋な思いを抱いていたように思うのだ。そういう人は、買っただけでろくすっぽ読まなかった。ところが、まじめに読んでしまった人が問題なのである。

 「マンガ嫌韓流」の中で、大きな紙幅が割かれているのが「在日コリアン」問題、ネット上でよく言われる「在日特権」の話である。「在日特権」については、後に安田浩一氏や野間易通氏の著作に詳しく否定される文章が掲載されているのであるが、「マンガ嫌韓流」では、はっきりと「在日特権は存在する!」という力強い宣言が掲載されている。この在日特権については、当初から「なにがしかの権利は在日コリアンが享受している」という可能性が指摘されていたが、安田氏や野間氏は「そのような権利は日本人も得ていて、特権的地位を行使しているとは言えない」と述べている。私もその見方は正しいというか、賛同している。「特別な権利」というか、日本人よりも優越している権利を、在日が享受しているとはとても思えないのである。

 ただ、中にある在日批判の中には、必ずしも全て荒唐無稽とまで言い切れない部分もあった。参政権の部分では、「帰化せず参政権がほしいというのはおかしい」という主張はネット上である程度賛意の多い内容だったし、拉致問題についても「朝鮮総連が何も知らなかったはずがない」というのは、確かにそうだろうと思う。所々「ちょっと言い過ぎでは」(これが今の問題につながる)という部分もあったが、似たような主旨の批判は、多くのネットユーザーがしてきたはずなのである。したがって、10年後の現在、ネット上の保守派で「マンガ嫌韓流、あれは荒唐無稽だとはじめから思ってたんだよ」などと言い訳をする人がいるならば、そんなはずはないのである。ただし、「マンガ嫌韓流」は、「2」「3」「4」に続くにつれて、在日批判というより、在日陰謀論まで進めてしまったために、そこら辺でついて行けなくなった人が多かったことも事実だ。私自身、第5作目「大嫌韓流」まで一応一通り目を通したが、第1作目で見せたメディア批判や戦後の岩波的言論へのカウンターパンチを昇華させず、ちんけな陰謀論に終始しているのは残念で、フィラデルフィアの種馬ボクサーがチャンピオンと戦って負ける姿に涙したのに、その後ソ連まで行って「人は変われるんだ!」とスピーチしたときに感じたことに近いような感覚だった。(個人的にはソ連までは許したけど路上のけんかまでは許せなかった。でも6作目は神だった。アポロの息子が主役の、今度の新作はどうだろう)

 とはいえ、スタローン主演のボクシング映画と違って、「マンガ嫌韓流」はいろいろとやっかいな問題を引き起こしている。一番やっかいなのは、後からこの本を読んで、真に受けてしまった読解力と理解力のない若者たちと、彼らをそそのかして活動している「在日特権を許さない市民の会」、通称「在特会」である。かつてこの国は、「ノストラダムスの大予言」(五島勉・著)の終末思想から、オウム真理教を生み出してしまったが、同じことをマンガ嫌韓流でやってしまったのである。在日陰謀論から、在特会を生み出してしまったのである。たかだかマンガが、強烈なネオナチ集団を誕生させた事実を、私たちはもう少し重く受け止めた方がいい。もちろん、山野車輪氏だけに責任があるわけではない。おそらく、山野氏が「マンガ嫌韓流」を描かなくとも、他の誰かが似た作品を出していたはずだ。在特会を誕生させた責任は、「これを買って日本を守るのだ」と、こぞって買い求めた読者(私を含む)それぞれにもあるはずだ。したがって、在特会という鬼子を誕生させた責任は、ネット上の保守派が責任取って、全員で息の根を止める必要があると考えている。

 まず前提として、在特会は位置づけとしては、オウムに近い存在であると言っていい。一度彼らのデモの現場を見てきたが、正直言って吐き気がした。病的で、まっとうな神経では見ていられない。その中に居られる奴らがまともなはずがない。したがって、法規制は必要である。しかし、その規制は、テロ対策を主旨とすべきだと考えている。在特会は現在、表立ったテロを行っていないが、在日コリアンに対する殺人教唆や扇動を多々行っている。テロを扇動していると言っていい。彼らを野放しにすることは、狂犬病に罹患した野犬を放置しているのと同じである。2020年、オリンピックも控えているわけだから、雁首揃えて豚箱へぶち込んだ方が絶対にいい。騒乱罪や名誉毀損ではなく、ある種の社会安定というか、テロ対策立法によって在特会を路上から閉め出すことは十分可能なはずだ。現実、彼らが騒ぐことが、日本の恥さらしで、国益をどれほど害しているか、冷静に考えれば分かるはずなのである。ある意味で、存在そのものが自爆テロといっていい。そういう彼らを2020年までに路上から消し去るには、人種差別規制法などより、テロ対策の方が手っ取り早く、また確実なのである。したがって、ネオナチを苦々しく思っているネット保守派は結集して、在特会をつぶすテロ対策立法を提唱すべきであると考える。

 マンガ嫌韓流に関しては、なんというか、廃棄された漁具が次々魚を捕まえているような、いわゆるゴーストフィッシングのような状況なので、なんとかする必要があると思う。いかんせん売れた理由が「これを買って日本を守ろう」という、まるで「ランボー3/怒りのアフガン」当時のタリバン支援みたいな話になってしまったわけで、私自身かなり後悔している。ある程度見識のある有志で嫌韓流の検証や、部分的な見直し、あるいは否定というものが必要であるように思う。Wikiのようなものだと編集合戦になるし、マンガのような形で出すのがベターではないかと思う。それとて、読解力の低い若い世代に、どこまで届くか分かったものではない。

 しかも、「マンガ嫌韓流」は、「この本を否定するメディアは反日組織だ」という考えに近いメッセージが組み込まれているので、この文章を書いている私とて、反日左翼に認定されてもおかしくない。そういう意味では、よくあるSF世界で、無人機動兵器が、敵味方関係なく殺りくしているような状況である。とはいえ、この暴走する怪物を止めなければ、本当にテロが起こりうる。10年経って、マンガ嫌韓流の息の根を止める責任があるのは、カウンターではなく、ネット上の保守派全員だろうと思うのである。


8/18
「佐野る」の時代

 「佐野る」という言葉が、ネットで流行り始めた。まだそこまで定着しているわけではないが、「アサヒる」と同程度には定着し、流行し、そして廃れていくことだろう。数年後には、アサヒる同様に「ああ、あったね」みたいな話になると思う。これを、2015年の今、読んでいるなら別にいいけれど、2020年にでもうっかり読んで、何のことか分からないといけないから書き添えておくと、2015年8月現在、デザイナーの佐野研二郎氏が、デザインを担当する上で、模倣や盗作を繰り返していたのではないかという疑惑が持ち上がり、そういうアイデアを拝借することを「佐野る」と呼ぶようになったのだ。早い話がのまネコ問題における「インスパイヤ」みたいな意味である。

 あらかじめ先に述べておくが、佐野氏の作品のどれが模倣で…などといちいち取り上げるつもりはない。仮に模倣であるのなら、先日の記者会見で「模倣はしていない」と断言したことに整合性がなくなるのだが、佐野氏の過去の作品と海外作品の類似性などは、夏休みで暇な方々がなんとかしてくれるのでお任せするとして、私は別の切り口から述べたいことがある。

 私は、今回の問題について、「デザイナー」というものの危うさが、あらわになったように感じている。それは、今回の問題の本質は、成田亨氏の主張そのものであり、さらにはその他の分野でも進む「軽薄さ」が影に隠れているからだ。

 成田亨氏というのは、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のヒーロー、怪獣、メカニックデザイナーである。なんだ、またオタク話か。確かにそうだ。だが、もう少し読んでほしい。成田亨氏は、存命中、その後のウルトラマンシリーズデザインについて、「過去のデザインをなぞるばかりである」として、痛烈に批判をしている。ウルトラマンをコスモス(秩序)として、怪獣をカオス(混沌)の象徴としてデザインしてきた成田氏にとって、その後のウルトラシリーズの、とりあえずゴモラに2本余分に角を付けておきました、みたいな安直なデザイン論は許せなかったのだろうと思う。

 それは、機動戦士ガンダムをはじめとする、ロボットアニメも同じである。近年のガンダムは、確かにかっこいい。ロボットとして、文句の付けようがないかっこよさだ。だが、敵キャラクターとなると、何かパンチが足りない気がしてくる。そう、我々があの、テレビで初めて「ザク」を見たときのインパクトに比べて、どうも弱い。ガンダムの「ザク」は、元々玩具化される予定はなかった。ましてプラモデルにもなるはずがなかった。デザインを担当した大河原邦男氏は、述懐している。「富野由悠季監督からは、一つ目(モノアイ)だけを守ってくれれば、後は好きに作ってくれていいといわれました。」大河原邦男氏は、ザクについて、あっさりとデザインを仕上げている。

 成田亨氏と大河原邦男氏、この両名に共通することは何か。オタク仕事で名をなした人。ジャリ番でしょ。そういう発想しかできないなら貧困だ。両名ともに、芸術家としての素養があったということだ。成田亨氏は、武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で洋画を、後に彫刻を学んでいる。成田氏は、円谷プロを退社した後、彫刻や洋画作品を多数手がけ、芸術家として活動を続けた。大河原邦男氏は東京造形大学でグラフィックデザイン科後にテキスタイル(染め物や衣服のデザイン)デザイン科で学んだ。その後、オンワード樫山でアパレルデザインを担当して、アニメ業界に入った。それも偶然の積み重ねである。大河原氏の事務所には工房があり、金属加工や木材加工できる道具がそろっている。ガンダムのデザインを昇華した、工芸作品を雑誌に載せることもある。さらには、担当するロボットをおもちゃメーカーに見せる際には、必ず木材で見本を作っていくという。つまり、木材による彫刻的な作品を、日常の仕事として受け持っているということになる。

 成田氏は、「デザイナーではなく、芸術家である」ということに、大きな自負をもっていたと聞いている。大河原氏も、メカニックデザイナーという肩書きをいやがってはいないが、自身は「物作り屋でいたい」と思っているような節がある。つまりは、工芸作家の延長線上として、デザインの仕事を位置づけているように感じる。

 成田氏は、晩年、「今のウルトラ怪獣は(俺みたいな芸術家じゃなくて)デザイナーがやってるからダメなんだよ!」という主旨の発言をしていた。私は、この発言の裏に、デザイナーが芸術性や作家性を発揮せず、成田氏などの過去作品をコピペやコラージュする現状に、憤っているように感じた。

 私は、デザインという仕事には、作家性とか、芸術性というものが欠かせないと思っている。それは、かつて、大阪万博において、何となく珍妙に見えながら、すさまじいインパクトのあった「太陽の塔」を手がけた、岡本太郎氏が超一流の芸術家であったことも無縁ではない。あまりにもインパクトがあったため、その後45年の時を経て、太陽の塔は変形する超合金ロボとして発売されるに至っている。あれがもしも、芸術家の岡本太郎氏ではなく、その辺のデザイナーの作品だったならば、あそこまでのものになっただろうか。

 表現者の、芸術家の、表現のための実験場というか、ある種下位ステージとして、デザインという分野は存在してきたように思う。もちろん、工芸技法が現在のプロダクトデザインになってる面があって、そもそもデザインという分野自体は芸術の延長線上にあった。それは、「サブカルチャー」という言葉でも分かりやすいはずである。「サブカル」つまりは、メインがあった上でのサブなのである。あくまでもメインを目指しつつも、結果的にサブを手がける、かつてこの国はそういう不本意な、それでも食っていくためにやむを得ず取り組んだ作家や芸術家により、驚異的なサブカル作品が生み出されるに至った。前述の「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「機動戦士ガンダム」……人々の心の中に、忘れがたい衝動のような、心の動きを感じさせてきたのは、自らを二流と認めざるを得なかった芸術家たちの、超一流の仕事があったからこそだと思うのだ。

 そんな事例は、いくらでもある。サブカルの仕事は、時として軽く見られることがある。それでも誇りを持って、真摯に取り組んできた人々の存在が、たとえサブであっても、カルチャー(文化)としての発展に寄与してきた。

 ところが、である。

 近年、どうも「サブ」ばかりを目指す人が増えすぎてきたように思う。「将来の夢は声優」「アニメの監督になりたい」「アニメソング歌手になりたい」「ニコニコ動画の踊ってみたランキングで一位を取るんだ」これが一人とか、二人とかの話じゃない。役者でもなく、映画監督でもなく、歌手でもなく、ダンサーでもなく、何か「サブカルの」という枕詞がつくようになってきている。そういう人がどうにも多い。そして、何というか、佐野研二郎氏の経歴を見ていると、芸術家を目指したというよりも、当初からデザイナー志望だった様子が垣間見えるのである。

 デザイナー志望で悪いのか、声優志望がダメなのか、ニコニコ動画のスターになりたいのはダメなのか(個人的にこれだけは、かなりダメだと思うんだけどなあ)、確かに悪くはない。だが、その結果できあがるものの質を考えたとき、やはりサブカルの二流でしかないと思うのだ。「そんなはずはない、売れている」というけれど、そういうものが好きなマーケットの中で勝負している分には、売れて当たり前なのだ。売れるようにしか作っていないものは、所詮、その程度なのだ。自分の魂の底から、表現したい、描きたい、作り出したい、生み出したい、そういう衝動性が感じられない。「こういうのが好きなんでしょ」「こういうのが気持ちいいんでしょ」程度の仕事なら、当然、残るわけがない。宮沢賢治は、訳の分からない童話を多数遺しているし、あれは彼の童貞妄想だとか、マスタベーションをしなかったがゆえに性衝動が悪い方向に作用して、ある種キチガイのような色彩感覚をもったのではないかなどという指摘がある。重要なのはそこじゃない。賢治は、多数の童話の原稿用紙を死の床の妹に見せながら、「わらし(子ども)こさえる(作る)代わりに書いたもんだ」と言っているそうだ。やっぱりリビドー由来じゃねえか!とにかく、宮沢賢治にとって、書くという行為は、自らの命を吐き出すような、心身を削るような創作活動だった。だからみんなわけがわかんないのにとりあえず圧倒されて、なんか感動したことになっているのだ。

 佐藤研二郎氏に面識はない。たぶん、これからもない。だから、全て完全な推測。彼がこの文章を、まかり間違って読んでしまった場合(先に書いておきますが絶対に読ませないでください)「僕は、東京オリンピックのロゴを、本気でセックスするつもりで生みだしたのです!」と反論するかもしれない。だが、多くの人がベルギーの劇場のロゴを見た後で、彼の作った東京オリンピックのロゴを見たとき、何となく居心地が悪いというか、地に足がついていないというか、誤魔化されているような気分になったのは、「こいつ本気で作ってないだろ」という部分が透けて見える、この一点に尽きるような気がするのだ。

 ジャクソン・ポロックというアメリカ人画家がいる。(知らない人はググってね)絵の具をぐちゃぐちゃに、たたきつけるような描き方をしている。その作品は現在、高い美術的価値があるとされているが、ぱっと見「こんなぐちゃぐちゃの絵が人を感動させられるわけがない」と考える。だが、ポロック自身は描く絵にたれる絵の具を全てコントロールし、計算して描いていた。晩年、思うような絵が描けなくなって酒におぼれ、交通事故であっけなく逝った。ポロックがもしも、生きていく上での叫びのような、表現としてではなく、ただ絵の具を垂らした絵が売れるからと言う理由だけでああいう絵を描いていたなら、ポロックは美術の教科書には残ったとして、それは「お絵かき芸人」としてであったはずだ。ポロックの本気を多くの人が感じ取ったから、ここまで残ったのだ。ピカソだって、日本全国の小学生が、「あんな絵、俺でもかけらァ」と馬鹿にした経験があるはず(私もその一人)だが、その後誰一人、ゲルニカを超える傑作を描くに至っていない。本気で作ったものは、人々の心に届くのである。

 サブカルを目指すことは、悪いことではない。サブカルそのものも、悪いものではない。だが、そこで行う表現活動は、たとえサブカルであっても、本気で、心の底から表現したものでなければならないのだ。そういうものが見えない限り、それなりにその場を取り繕って、売れることはできるかもしれないが、人々の心を動かすには至らないのである。

 このウェブサイトのコラムだって、前回の「西部警察」は、著者渾身というか、「俺はこれが書きたいんじゃ~~~~~!!」という魂の叫びのような作品に仕上がっている(たぶんこの先もこれを超える傑作は書けないよ。…って、お前は百田尚樹か!)と自負しているし、今回だって「これはワシが書かないと誰も指摘せんじゃろ~~~!」という意識で書いているわけで、常に本気で書いている。もはや日記じゃないんだけど。

 デザイナーが悪いわけではない。サブカルが悪いわけではない。本気で、魂の底から生み出す、「わらしこさえる」ような創作活動の欠落が悪いのである。表現衝動を大切にして、本気で作る。そういう本気さが欠けている。それは佐野氏に限らない。いろいろな分野にあふれている。「これどっかで見たことがあるよね」なんて作品があふれている。佐野研二郎氏はあちこちにいる。今回はたまたま、彼だっただけで、次は別の誰かが、彼になるのかもしれない。


8/3
はじめての『西部警察』

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立ち上がれ 不屈の刑事(デカ)魂
昨日、凶悪犯を倒し
今日、無法者を撃ち
明日、巨大な悪の組織に挑む男たち
荒馬を車に替え アスファルトジャングルの悪を狩る現代のカウボーイたち
限りなき愛と勇気で進め
この街に平和を 心に愛の灯火を これが俺たちの誓いの言葉だ
石原裕次郎、渡哲也主演。
コンクリート・ウェスタン『西部警察』にご期待ください!

「西部警察」第1話新番組予告ナレーションより

 人気シリーズというのは、人気シリーズゆえに、悩ましい問題がある。一見さんが入りづらいことだ。すでにそのファンがディープで濃いコミュニティを形成している場合、ちょっと入ろうとすると「素人め、間合いが甘いわ!」とけなされてしまう。確かに、前からその作品を支持してきた人にすれば、「支えてきた」自負はあると思うが、日本のファンコミュニティが結局数年で廃れていくことは、「一見さんお断り」の風潮に大きな原因がある。

 それは、アニメや漫画に限らず、ドラマとて例外ではない。刑事ドラマシリーズ『西部警察』のリバイバルが話題だが、これはそもそも石原プロモーションが7年前、旧国立競技場に寺を建立したために資産がスッカラカンになり、ドラマや映画の版権を切り売りしないと食っていけなくなったため、作品のソフト化が実現して、関連商品が出て、それまでそういうのがなかったために従来のファンが大喜びで買っているだけだ。そういうわけで、『西部警察』のファンの裾野が広がっているわけではない。本稿は、『西部警察』を見たことのない、あるいは知っていても詳しく知らないそこのあなたのために、ビギナーさん向け『西部警察』入門テキストとして執筆した。したがって、コミュニティでよく出てくる話題、つまり車や銃については本稿では詳しく触れないのでご了承いただきたい。

『西部警察』は、1979年から1984年まで、5年間にわたってテレビ朝日系列日曜夜8時にオンエアされていた、石原プロモーション制作のアクション刑事ドラマである。スペシャル版を含めて236話が制作されたほか、2004年には21世紀復活版として『西部警察スペシャル』が放送されている。同時期に放送されていた『太陽にほえろ!』が全718話、『特捜最前線』が全509話、『Gメン'75』が全355話なので、刑事ドラマの長さだけで考えると少し劣るように見える。しかし、日曜夜8時というNHK大河ドラマという大きな裏番組を向こうに回し、しかもその当時の作品が『草燃える』『獅子の時代』『おんな太閤記』『峠の群像』『徳川家康』『山河燃ゆ』という豪華ラインナップだった。その中で5年間、レギュラー放送をし続けることの困難さがどれほどのものか、想像できないだろう。さらには、テレビドラマの枠にはまらない、とんでもない制作費が投入されていたことも特筆に値する。毎週、車が横転し、爆発し、銃弾の嵐が吹き荒れる。当時のハリウッド映画に負けないアクションドラマを作ってやるという制作陣の心意気が存分に発揮されたドラマだった。

全236話累計(公称)
飛ばしたヘリコプター…600機
壊した車両の台数…約4,680台(1話平均・20台)
壊した家屋や建物…320軒
使用された火薬の量…4.8t
使用されたガソリンの量…12,000リットル

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石原裕次郎氏(右)と、渡哲也氏(左)

 そもそも、なぜこんなドラマが作られることになったのか。それは、二人の男の出会いから始まっている。それは、昭和の大スター・石原裕次郎氏と、その後輩、渡哲也氏だ。今でこそ石原裕次郎氏はおじいちゃん世代のスターだし、渡哲也氏は『龍が如く』の大物声優なのだが、元々二人は日活という映画会社の専属映画スターだった。石原裕次郎氏の代表作と言えば『嵐を呼ぶ男』だが、公開は1957年。当時のテレビはまだ高級品で、テレビというものは街頭で見るものだった。娯楽と言えば映画だった時代なのである。今は芸能プロダクションに俳優が所属して、ドラマや映画にあちこち出ているが、当時俳優は映画会社専属だった。つまり、東宝所属なら東宝、東映所属なら東映というように、出演できる映画が決まっていたのである。早い話が、冨樫義博先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!ということである。

 ところが、1950年代終わりの皇太子ご成婚に伴うミッチーブーム(考えてみると佳子さま萌え~とか言ってる若者を批判するメディアがあるけど、昔から変わってないよな)や、1964年の東京オリンピックにより、テレビが普及し始めると、映画界が徐々に斜陽になってくる。1958年には11.27億人がのべ入場した映画産業だが、1964年には4億人(これでも今となってはすごいんだけど)まで減少してしまう。

 観客動員数が大幅に減少するに連れ、日活の映画制作環境はどんどん劣悪なものになっていった。映画スターであることに誇りを持っていた(歌が大ヒットしても「俺は歌手じゃない」と照れたことは有名)石原氏にとって、自分の作りたい映画が作れなくなるという危機感は非常に大きかった。そして1963年、石原裕次郎氏の個人オフィスとして、「石原プロモーション」が誕生する。

 石原氏の作りたい作品を作るとしたものの、結局スクリーンに配給する都合、映画会社の協力が不可欠になる。今でこそ、シネコンや単館系、ミニシアターが存在しているが、当時は映画館というものは基本的に映画会社の直営だった。実際、第1回作品『太平洋ひとりぼっち』(監督:市川崑氏)は、日活が配給している。そして興業収益では見事に惨敗した。

 それでも石原氏は諦めなかった。同じく東宝専属でありながら、独立プロ「三船プロダクション」を設立した三船敏郎氏と、黒部ダムを建設した男たちを描くドラマ『黒部の太陽』(監督:熊井啓氏)の映画化を決意したのである。当時石原プロに所属していた黛ジュン氏の稼いだ利益を注ぎ込み、さらには制作に反対していた日活に「関西電力が前売り券を100万枚買ってくれますよ」と説き伏せたのである。結果的に下請けまで含めて動員されて映画は大ヒット、文部省(当時)推薦でなぜか小学校の校外学習でこの映画を見せた学校もあるという。確かにこの映画、壮大なスケールと豪華キャストでいい映画だと思うのだが、純粋な映画という意味ではこの映画以降、急速に失速していくことになる。

 『黒部の太陽』のヒットに気をよくした石原氏は、サファリラリーを描いた『栄光への5000キロ』を制作。1969年当時で4億円という巨費を投入し、ヨーロッパやアフリカで長期ロケを敢行した。この作品も、タイアップした日産自動車のおかげでまあまあヒットしたものの、前作を超えるには至らなかった。

 それ以降は作品として失敗が続くことになる。裕次郎氏の兄・石原慎太郎氏は『弟』の中で、「プロデューサーのN」として中井景氏をほぼ名指しで批判しているし、実際プロデューサーとして予算やスケジュール管理ができていたか疑問であるが、とにかく以降の石原プロ作品は興業で惨敗を強いられることになる。その後制作した『富士山頂』『ある兵士の賭け』『甦る大地』の3作品は、見事なまでの大惨敗。会社が傾く程の大赤字になったのである。

 基本的に石原プロの作る映画というのは、男臭い話が多く、技術者が、困難を乗り越えてプロジェクトを達成するという、映画版プロジェクトXみたいな作品が多かった。当然、壮大なプロジェクト再現に大規模ロケーションが必要で、制作費が高騰する。これに、フランク・シナトラの息子とか、微妙な俳優に法外なギャラを支払い、ますます財政を圧迫した。石原慎太郎氏は、企画が悪いと批判しているが、おそらく石原裕次郎氏自身が男臭いストーリーや壮大なスケールを好んでいたことは間違いない。生きていたら毎週お喜びでプロジェクトXを見ていたに違いないのである。

 石原プロの映画が興行的に惨敗する中、各映画会社もおかしなことになっていった。裕次郎氏の映画を数多く作ってきた日活は、社長のどんぶり勘定ワンマン経営がたたって赤字が膨らみ、同じくワンマン経営で迷走した大映と「ダイニチ」を作るものの失敗。ついに「こうなりゃエロ路線しかない!」ということで、「にっかつロマンポルノ」制作に乗り出してしまう。松竹は「ある兵士の賭け」「甦る大地」の失敗もあり手を引いた。そこで石原プロモーションが手を組んだのが、東宝である。1972年、所属女優(当時)浅丘ルリ子氏の「蒼ざめた日曜日」制作を機に、東宝との共同制作を始めるのである。

 ちょうどその頃、東宝テレビ部が『明日に燃えろ!』という青春刑事ドラマを企画していた。新宿にある警察署、七曲署に、当時の人気スター萩原健一氏演じる新人刑事が配属され、成長していくというストーリーだ。この中に出てくる捜査一係の係長、ボス役に石原裕次郎氏を起用するという案が持ち上がった。1972年当時落ち目とはいえ、5年ほど前までは大スターである。それまでほとんどテレビドラマに出演してこなかった石原裕次郎氏と、若者に人気のショーケン氏が組めば、大ヒットにつながる…。

 この『明日に燃えろ!』は、その後いろいろな変更があって『太陽にほえろ!』として放送を開始することになる。出演を渋る石原氏に対し、東宝と日本テレビは「とりあえずワンクール(13話)でいいですから」という条件で契約、第1話「マカロニ刑事登場!」より、石原裕次郎氏はボスこと藤堂俊介警部として出演するようになるのである。石原氏本人は13話限りで降りるつもりだったが、ゴリさんこと石塚誠刑事を演じた竜雷太氏はじめ、番組スタッフや石原プロ側近が強く慰留。何よりテレビのすごさを感じた裕次郎氏自身が続投を決意、番組は国民的人気番組になっていく。

 そして、テレビのすごさを感じていた石原氏は、当時のお金で10億円近い借金を背負っていたこともあり、映画制作からテレビドラマ(テレビ映画)制作へと方針を変えることを決意する。何かいい企画はないものかと考えていた矢先、当時『前略おふくろ様』でヒットを飛ばしていた脚本家・倉本聰氏が、1本の企画を提出してきた。ヒラのマル暴刑事と、新聞記者の二人を通じて、社会の闇と人間の本質を描く『夜の紋章』という作品だった。企画はすんなり決まり、新聞記者役に石原裕次郎氏、『仁義の墓場』以降病気で倒れていた渡哲也氏をヒラ刑事というダブル主演のキャスティングも固まった。

 ところが、タイトル『夜の紋章』がどうも暗くてだめだ、という話になった。いろいろ議論の末、『大都会の夜』というタイトルで決まりかけるが、石原氏がそこに待ったをかけた。「長すぎるんだよなあ。大都会、でいいじゃない」

 こうしてはじまった作品こそが、石原プロモーション第1回テレビ映画作品「大都会 -闘いの日々-」だった。このタイトル変更は倉本聰氏には事後承諾だったそうで、倉本氏の中ではどうも納得がいかなかったらしいが、倉本氏にとっておもしろくない話はここで終わりではなかった。

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すごく暗いし重いストーリーだけど、胸の奥に熱いものを感じる傑作

 なんと『大都会』は、批評家に絶賛され、人間ドラマの傑作と高く評価されたのだが、視聴率で惨敗してしまうのである。そこで、日本テレビとプロデューサーの石野憲助氏番頭コマサこと小林正彦氏(石原プロモーション専務)は、人間ドラマの傑作『大都会』を、アクション活劇路線へと仕切り直すことにした。折しも、『俺たちの勲章』撮影中にケンカ騒ぎを起こし、謹慎中の大スター・松田優作氏のスケジュールが空いていた。優作兄ィも渡哲也氏の側ならおとなしくしているだろう…そこで制作されたのが『大都会PART-II』である。

 本作では、メインライターの永原秀一氏が「ケツから話を作った」と述懐しているとおり、毎週ハードなカーアクションや銃撃戦が繰り広げられることになった。当然倉本氏は激怒。文芸社会派路線で持って行った企画が、アクション活劇になってしまったのだ。当然である。

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左より、苅谷俊介氏、峰竜太氏、松田優作氏、神田正輝氏

 この『大都会PART-II』は、刑事ドラマ史に残るエポックが存在している。松田優作氏の存在である。『大都会』シリーズで、PART-IIが別格なのは、松田優作氏の出演が大きかった。松田優作氏はハードアクションの中に、ユーモアとジョークを混ぜ込んだ役作りを展開したのである。ストーリーはシビアでも、優作さんが何かクスッとさせる一言を言う。これがドラマに絶妙なアクセントになったのだ。このアイデアは後に優作さん自身が『探偵物語』で発展させているし、もしあそこで逝かなければ、おそらくその後もバイオレンスとユーモラスを融合させた傑作を生み出したに違いないのである。また、『探偵物語』は、東映の子会社のセントラル・アーツが制作しているが、その会社が作った最大のヒット作はまもなく完結編がクランクインする『あぶない刑事』(主演はまだ話が出てこない『西部警察』でブレイクした舘ひろし氏)で、スタッフがかぶっていた。さらに言えば、『あぶない刑事』のノウハウがその後『相棒』へと結実しているわけである。(ちなみに、あぶない刑事は当初石原プロモーションが、西部警察の発展として舘ひろし氏と三浦友和氏主演のバディ刑事ドラマとして企画したが、諸般の事情で企画をセントラルアーツに譲り、主演が舘ひろし氏と柴田恭兵氏になったという話である)

 誤解のないように言わせてもらうと、石原プロモーションの『大都会PART-II』がなければ、『探偵物語』はなかったし、『あぶない刑事』もなかったし、『相棒』だってなかったかもしれないのである。それくらい『大都会PART-II』は刑事ドラマの歴史において、重要な存在なのである。いかんせん『西部警察』という大ヒットドラマが存在する手前、影に隠れがちであるが、作品としてのおもしろさはこっちが上である。が、いかんせんコアすぎて一見さんにはお勧めできないので、このテキストを読んで、『西部警察』にどっぷりつかってから見ることをお勧めする。

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PART-II途中よりサングラスを着用し、トレンチコートにサングラスというハードボイルドキャラが固まる

 また、『大都会PART-II』では、渡哲也氏の役作りにも大きな変化が見られた。ハードアクションが前面に出るにつれ、銃撃戦シーンが多くなるのである。リハーサルでは弾着を使わず、口鉄砲、つまり「パン、パン」と叫ぶわけで、いい年した大人がみっともないし恥ずかしい。照れ隠しという意味で、渡哲也氏はレイバンのサングラスを掛けるようになったのだ。ただ、このサングラス、後に神田正輝氏は「あれは火薬から目を守るためにやってたんです」と証言しているし、ハードアクション刑事ドラマということで渡哲也氏の頭の中に『ゴキブリ刑事』と『ザ・ゴキブリ』の2作品が頭によぎった可能性は否定できない。

 実をいうと、渡哲也氏=角刈りにレイバンのサングラスのバイオレンス武闘派刑事というキャラクターは、『大都会PART-II』が初出ではない。1973年に石原プロモーションと東宝が共同制作した『ゴキブリ刑事(でか)』と、『ザ・ゴキブリ』において、すでに誕生しているのである。後に渡哲也氏は、『渡哲也 俺』の中で、ああいう刑事役について本意でなかったと述べているが、10年以上そういう役だけを演じ続けるというのは、俳優にとって苦痛だっただろうと思う。少し話がそれるが、『大都会-闘いの日々-』『大都会PART-II』に出演された粟津號氏は、『太陽にほえろ!』の「石塚刑事殉職」でゴリさんを射殺した犯人役を演じているが、そのときの裏話を手記に書いている。竜雷太氏はニコニコしながら粟津氏を迎え入れ、「もう10年やって飽きちゃった。ひと思いに殺してくれよ」と、上機嫌だったという。そういえば何かのTVでタレントのダンカン氏が『太陽にほえろ!』の岡田晋吉プロデューサーに、「山さん(山村精一刑事役・露口茂氏)だけは死なせてほしくなかった」と訴えたことがあったが、岡田氏も苦渋の表情を浮かべつつ、「14年やったということで、(露口氏に)卒業を強く求められまして…」みたいなことをいっていた。私自身、俳優を少し志したことがあるが、いろいろな役になれることが俳優のおもしろさで、それが10年以上同じ役で固定されるというのは、当たり役とはいえ、大体いやがるものだ。実際、『相棒』の水谷豊氏は、近年、明らかに「杉下右京だけじゃない!」態度でいろいろな役柄にチャレンジしているが、あれも「水谷豊=杉下右京」への危機感があったと思う。(水谷氏の場合、一時期「水谷=傷だらけの天使のアキラ」というイメージから伸び悩んだことも大きかっただろう)

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DVDジャケット画像。ただし本編中ライフルは使いません。もみあげが濃い以外は完全に大門。

 しかし、こういっては何だが、渡哲也=角刈りでレイバンのサングラスを身につけた武闘派刑事というキャラクターは、そもそも無骨で不器用、男っぽい雰囲気の強かった渡哲也氏にとって、非常に、似合いすぎるくらいに似合っていたこともまた事実なのである。ちょうど『ゴキブリ刑事』公開後1973年8月に発売した「くちなしの花」という、お世辞にもうまいとは言えない歌が、あの低い声とぼくとつとした歌声にマッチし、大ヒットしたことにも似ている気がする。

 『大都会PART-II』は視聴率で大ヒットし、石原プロモーションの経営も徐々に軌道に乗り始めた矢先、困ったことが起きた。松田優作氏の降板である。優作氏自身は尊敬する渡哲也氏の側にいられることは満足だったが、やはり映画作りへの情熱が燃え上がってきたのであろう。本作降板後、村川透氏と組んだ映画『遊戯シリーズ』が傑作となったことを考えると、降板してよかったといえる。

 石原プロモーション側は、『大都会PART-II』の路線はそのままに、よりハードなアクションとバイオレンスを強化してストーリーをリセットした『大都会PART-III』を企画した。今作では、あまりにも車が必要なので、裕次郎氏の兄・石原慎太郎氏は「壊すために車をください」と、日産自動車に直談判に行ったそうである。作品世界はリセットし、松田優作氏のほか、『青春ド真中!』に出演が決まった神田正輝氏が降板。代わりに、星正人氏と寺尾聰氏が出演することになった。これに、課長役に高城淳一氏が登場し(予定では中条静夫氏だったらしい)、PART-IIから引き続いての苅谷俊介氏、峰竜太氏らが脇を固めることとなったのである。

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細身なのに片腕でマグナムを撃ちまくる姿がとにかくかっこよかった寺尾聰氏(写真は西部警察より)

 『大都会PART-III』は、前作を超える銃撃戦にカーアクション、そして大がかりな爆破シーンが登場。第1話では、福本清三氏と毎年10月から3月まで水曜夜9時に警視庁刑事部長をやってる片桐竜次氏がトラックの荷台からバズーカ砲を乱射して次々パトカーを破壊するものの、問答無用で渡哲也氏に射殺されるという、今では絶対地上波で流せないハードな展開を見せた。視聴率も常時20%前後で推移し、第19話では25.6%という数字を記録している。余談であるが、『西部警察』シリーズの最高視聴率は25.2%だったので、平均視聴率だけで見ると『大都会PART-III』の方が上なのである。

 この『大都会PART-III』では、舞台となる城西署捜査課の刑事たちに、新しい愛称が付けられた。「黒岩軍団」である。実は、第1作「闘いの日々」で、やくざに対して強硬手段を辞さない深町行男(演:佐藤慶氏)率いる警視庁捜査四課が、「深町軍団」と呼ばれる設定があった。「黒岩軍団」のネーミングは、この名残ではないかと思う。現在、石原プロモーションの俳優を「石原軍団」と呼ぶことが一般的だが、この「石原軍団」は、元々「黒岩軍団」から取られている。「デカ長」こと黒岩部長刑事を総帥として、ジロー、トラ、坊主、サル、弁慶、丸さんという軍団の部下たちが、凶悪犯に戦いを挑む。もはや刑事ドラマというよりも、バイオレンス・アクションドラマといっていい。そしてこのハード・バイオレンスが実に完成度が高く、「大都会PART-II」の路線とはまた違った、独特の味わいを出すことに成功している。

 ストーリーがハードになるにつれて、番組にまた一つ、大きな変化が起きる。ある日、渡哲也氏は小道具の大光寺康氏にあるリクエストをしている。それは、拳銃や、ライフルとは違う、画面に映えるステージガンはないか、ということだった。そのとき、大光寺氏の頭にふと、その少し前に友人が家に置き忘れていったモデルガンが思い出された。大光寺氏は友人に許可を取り、そのモデルガンを渡氏に見せた。「これ、使おう。」それが、レミントンM31型ショットガンだった。

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レミントンM31 ショットガン。ただし、番組中で使われたのは、グリップが異なる。

 ショットガン。つまり狩猟に使う散弾銃である。散弾銃でヘリコプターから狙撃するなんておかしい。常識的にはそうだ。だが、渡哲也氏演じる黒岩部長刑事が、1発ごとに「ガチャッ」と排莢のポンプアクションをする姿が、異常なまでにかっこよかったのである。こうして、角刈りサングラスにショットガンという、その後の渡哲也氏のイメージを決定づけるキャラクター像が完成した。

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(サングラス+ショットガン)×爆破=最強

 さて、『大都会PART-II』と『大都会PART-III』までのオンエアスタートには半年間のずれがある。この半年間、石原プロが作っていたテレビドラマが渡哲也氏主演の時代劇コメディ『浮浪雲』である。脚本は『大都会』の倉本聰氏で、テレビ朝日系列でオンエアされた。このドラマについては、渡氏にはどうも黒歴史らしく、週刊文春によると特にソフト化をしたくなかったシリーズらしい。重要なのはこのドラマが渡哲也氏にとって黒歴史かどうかではなく、テレビ朝日と石原プロモーションの付き合いが始まるきっかけだったということだ。

 1979年当時、日曜夜8時というのは、大河ドラマの独壇場だった。そこの牙城を何とか崩せないものか、テレビ朝日はいろいろ思案していたのである。そして、石原プロモーションの人気ドラマ『大都会PART-III』に白羽の矢を立てるのである。「テレビ朝日で、大都会の続編を作りませんか?」しかも、番頭の小林正彦氏にとって、破格の条件がついていた。それは、制作費の直接契約である。

 通常、テレビドラマの制作には広告代理店(電通とか博報堂)が仲介する。つまり、テレビ局-代理店-制作会社という構図だ。一時期、テレビアニメの制作現場が過酷だという話があったが、この、代理店が中抜きしてしまうという日本のテレビ界の構造的な問題があると指摘されている。つまり、広告代理店を仲介させないテレビ番組作りは、通常あり得ない。ところが、日本でこのあと5年間、これまでの常識を覆すような出来事を、石原プロはやってのけるのである。(ちなみに、電通や博報堂が石原プロモーションをすごく毛嫌いしているのはこのことが原因である。)

 こうして、前代未聞の直接契約の末、テレビドラマの実質的続編がテレビ局を引っ越す形で実現してしまったのである。想像できない人にたとえ話で説明すると、フジテレビの人気ドラマ『HERO』のキャストとスタッフがそのまま、テレビ朝日で同じような設定のドラマを始めてしまったようなものである。普通あり得ない。あり得ないことが起きてしまったのだ。

 こうして、移籍する新番組の企画が始まった。日曜8時は、大河ドラマによって砂漠のような状態だ、いわばアスファルトに覆われた世界である。そのアスファルト・ジャングルで巨大な悪に立ち向かう姿は、まるで西部劇のガンマンのようだ。そうだ、西部劇みたいな刑事ドラマを作ろう。そういう発想から、『西部警察署』と題された新番組の企画書があがってきた。渡哲也氏演じる滝沢啓部長刑事率いる滝沢軍団の戦いを、石原裕次郎氏演じる中野謙二捜査課長が見守る。そう、『大都会』シリーズに、ボス=石原裕次郎という『太陽にほえろ!』の構図を落とし込んだのである。企画がほぼ固まったところで、社長の石原裕次郎氏が題名に注文を付けた。「西部警察署の、‘署’は、いらないよ。」こうして、新番組の題名は、西部警と決定したのである。

 スタッフたちは、前代未聞の引っ越しなので、派手な引越祝いをしようということになった。プロデューサーの石野憲助氏は、後に「ソ連から古い戦車を輸入する手はずを整えるつもりだった」と述懐している。ただ、当時は冷戦の最中であり、イラン革命の余波などもあってうまくいかなかった。また、戦車のキャタピラは、公道での撮影に支障を来すこともわかってきた。そこで、石野氏は重機メーカーのコマツに、戦車のような装甲車を発注する。ホイールローダー(タイヤ付きの大型ブルドーザー)を改造した装甲車は、制作発表会見にも登場し、報道陣どころか初めて見る関係者にも大きなインパクトを与えた。

 出演者も決まってきた。主演となる石原裕次郎氏(木暮謙三捜査課長)と渡哲也氏(大門圭介部長刑事)に続き、石原軍団より寺尾聰氏(松田猛刑事)、苅谷俊介氏(源田浩史刑事)が『大都会PART-III』に続いてスピンオフ。高品格氏演じた丸山刑事のベテラン刑事ポジションに、藤岡重慶氏(谷大作刑事)。また、『大都会-闘いの日々-』で、神田正輝氏(これがデビュー作だった)の演じた九条役の候補でもあった、大川橋蔵氏の門下生だった大木富夫…改め、五代高之氏(兼子仁刑事)のデビューが決定。二宮武士捜査係長役には、『黒部の太陽』にも出演していたベテランの庄司永建氏。バーのマスター朝比奈役に佐原健児氏。渡哲也氏の妹・明子役に、当時売り出し中だった古手川祐子氏。そして、石野氏と番頭・小林正彦氏は一人の男にオファーを出した。『大都会PART-III』の際にもオファーを出しながら、「ボクは歌手なんで。」と断られた。しかし、彼のようなフレッシュで、そしてぎらついた雰囲気は番組に合う。二人は熱心に口説いた。「せめて半年でいいから。」渋々、その男は出演を承諾した。その男は、名古屋市出身で、医者の息子ながら医者になりきれず、バイク乗りになり、いろいろあって矢沢永吉氏やジョニー大倉氏率いるキャロルの親衛隊となって、ロックバンド「クールス」のボーカルを務めていた。ここまで書けばもう誰かわかるだろう。舘ひろし氏(巽総太郎刑事)である。

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若くしてこのかっこよさ!ダンディーさ!

 本来、『大都会PART-III』で星正人氏演じた虎田功刑事は、舘ひろし氏のキャスティングが前提だった。ところが、前述の通り出演を断ってしまったのである。『大都会PART-III』に舘氏が出ていれば、もっと完成度が増したと思うが、そうなると『西部警察』はなかったことになる。運命の不思議さを感じてしまう。

 こうして、出演者、スタッフ、そして装甲車全てがそろい、『西部警察』……1979年10月14日日曜夜8時、伝説の幕開けである。

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オープニングタイトルバックでいきなり車数台が爆発し、みんな驚いた

 第1話「無防備都市-前編-」は、木暮(石原裕次郎氏)が西部署捜査課・課長に赴任するところから物語が始まる。そして、米軍の演習場から盗まれた装甲車、それを操縦する傭兵…これまでの刑事ドラマにはない、よく言えばスリリングでダイナミック、悪く言えば荒唐無稽な物語が展開された。これに、犯人役が往年の名優伊藤雄之助氏だったのだからたまらない。第2話「無防備都市-後編-」では、装甲車との血みどろの激闘がラスト15分、延々繰り返される。普通に考えると冗長になりがちな映像なのだが、眼前で演技する俳優が本気の演技を見せているのだからこちらも見入ってしまう。そう、『西部警察』は、役者が体を張る。ものすごい映像が展開されるのである。私はこの前後編で、1発ノックアウトだった。刑事ドラマを見なれている人は、是非この前後編をご覧いただきたい。人生観が変わることは間違いない。

 『西部警察』は、この華々しい前後編の後、第30話「絶命・炎のハーレー」で舘ひろし氏が殉職するまで、『大都会PART-III』路線というか、ハードバイオレンス路線が続くことになる。お勧め作品としては、横浜港で大銃撃戦を展開する第6話「横浜銃撃戦」、冒頭にシリーズ最高レベルのカーチェイスが展開される第10話「ホットマネー攻防戦」、尋問シーンが笑える第13話「大門危機一髪」、最後に大規模な爆破で終わる第20話「爆発ゾーン」、クライマックスで渡哲也氏がノースタントでヘリコプターにぶら下がる第24話「獅子に怒りを!」といったところ。

 第31話「新人・リューが翔んだ!!」からは、舘ひろし氏に替わって、桐生一馬刑事・加納竜氏が登場。リューは射撃が下手なものの、運転がうまいという設定だったが、すでに運転も射撃も一流という設定の松田猛刑事(リキ)=寺尾聰氏がいたこと、さらには石原プロの外様だったことで加納氏自身少し遠慮したようで、徐々に目立たない刑事になっていった。リューが入った後は各刑事の個人エピソードが多く、まあまあ面白かったと思うのは第39話「消えた大門軍団」あたり。これが、第45話「大激走!スーパーマシン」で、日産・スカイライン2000GTターボ・マシンXが登場したことで、初期のハードバイオレンスは影を潜め、作風が完全に漫画路線に走ってしまうことになる。これについては石野憲助プロデューサーも「ようはね、浪花節ではなくて、漫画なんですよ。」と認めている。

 大体、最高時速240km、マイクロコンピューター、サーチライト、リモコン式スチルカメラ、レーダー・スピード感知器および特殊発信ペイント弾発射銃など52種類の特殊装置を搭載している特殊車両なんて、その当時オンエアされていた『電子戦隊デンジマン』ですら装備していなかったのである。(コンセプトは和製ボンドカーだったらしい)スーパーカーブームとはいえ、後にスーパーカー好きだったあるライターは「西部警察はちょっとマニアックすぎた」と述べていた記憶がある。そのマシンXを使ったカーチェイスが展開される、初の地方ロケ(山梨ロケ)が、第47話「笛吹川有情」。次の第48話「別離のブランデーグラス」では、当時チャートインしつつあった石原裕次郎氏の名曲「ブランデーグラス」をほぼフルコーラス歌いきる形で物語に登場させ、ロングヒットにつなげてしまった。ちなみに最初の主題歌「みんな誰かを愛してる」は42万枚の売り上げ(これでも今だとすごい)だったが、「ブランデーグラス」は155万枚を売り上げている。番組からミリオンヒット曲を生みだしてしまったのである。握手券なしで。

 54話「兼子刑事暁に死す」にて、第1話からレギュラーだったジン(五代高之氏)が殉職し、翌週55話「新人・ジョーの夜明け」からは御木裕氏演じる北条卓刑事が登場。この御木裕氏は、実はパーフェクトリバティー教団という、あのPL学園高校の母体となってる宗教団体にゆかりの深い人で、簡単に言えば創始者の一族である。一部資料に創始者の孫とあるが、違うらしい。歯切れが悪いのは調べてもよくわからないからだ。とにかく御木裕氏をデビューさせるという事情があったので、五代高之氏はあっさり殉職し、地球を守る太陽戦隊の二代目リーダーに転職してしまった。実は、五代高之氏の殉職シーン撮影中に、なんと舘ひろし氏が(出番があるわけでもないのに)激励に訪れていることが後に判明。舘さんの熱い男っぷりがわかるエピソードである。御木裕氏の俳優デビューには、石原慎太郎氏(当時自民党所属の衆議院議員)が絡んでいることから、いろいろ深い見方もできるのだけれど、それだと「はじめての西部警察」ではなくて、「昭和政界秘史」になっちゃうので取り上げない。

 この後のお勧めエピソードは、第64話「九州横断大捜査網!!-前編-」と、第65話「博多港決戦!!-後編-」だ。九州を舞台に大規模ロケーションを実施している。特に、三井グリーンランドでのアジト爆破シーンと、博多港近くでの爆破カーチェイスシーンは、その後オープニングのタイトルバックで使われている。ただし、車両爆破シーンはその後主流になるガソリン中心ではなく、セメント粉を使ったものなので、シリーズトータルで見直すと「あれ?たいしたことないじゃん」と思ってしまうし、車両爆破シーンはよく見ると同じカットを連続して使ったり、別のカメラから撮った映像を挟んだりしている。それから、クライマックスの冷凍車爆破シーンはどうもうまくいかなかったらしく、後に爆発する場面だけ改めて撮り直したようで、明らかに最後の爆発だけ日が傾いてるのが面白い。このほか第64話・65話は、その後寺尾聰さんと結婚する女優さんが出ていて、別の意味でも見応えのある話である。

 74話「出発」にて、加納竜氏が降板。殉職でなく、インターポールへの出向という形で西部署を去った。二宮係長役の庄司永建氏のインタビューによれば、スタジオ入りに遅れてくるレギュラーがいて、それが遠因で降板したという話をされている下りがあるのだが、どう読んでも加納竜氏のことなので、まあ、いろいろあったのだと思う。

 75話「平尾一兵、危機一髪」で登場した平尾一兵刑事役は、誰が登場するかと思いきや、石原軍団(当時)の峰竜太氏だった。大都会の上条刑事=サルとは打って変わって、ウォークマン片手にブルゾンを着て、ナンパを繰り返すひょうきんなお調子者キャラとして登場した。西部警察では後述する地方ロケの際、巡業コンサートがあったのだが、その司会を担当したのが峰氏だった。現存する映像にも、石原裕次郎氏に志村けん氏の物まねや、ETの物まねをやらせる映像が残っている。この時のタレント性が、後に刑事からマルチタレントに転職するきっかけになったのだから、人間なにが幸いするかわからないものである。尚、この時のレギュラー入りであるが、大都会から西部警察へ引っ越す際、当然峰氏にもオファーはあったが、「他でやってみたい」とやってみたものの、俳優としてうまくいかず、「やっぱり出たい」という話になったようで、加納氏の卒業と峰氏の登板が偶然重なったというのもあると思う。

 それから3ヶ月後、第88話「バスジャック」撮影中、大変なことが起きてしまった。長年の深酒(ビールは水であるとか言って朝から飲んでいた)にたばこ、宴席がたたって、石原裕次郎氏の心臓動脈がぼろぼろになり、急性大動脈解離(解離性大動脈瘤とも言う)を起こしてしまったのである。この「バスジャック」は、題名の通りバスジャックが起きる回なのだけれど、その人質が古手川祐子氏演じる大門団長の妹・明子で、古手川氏自身が爆破ロケにも参加している。石原氏はどうも撮影のかなりの部分を残して入院されたらしく、後ろ姿(ボディダブル=代役)に、前に撮った顔のアップを一瞬挟むことでそれっぽく見せている。この回以降、オープニングにはクレジットされているものの、全く木暮課長は出てこない。そして、出てこない理由は全く説明されない。理由はもうみんな知ってるだろう。天下の裕次郎さんだからだ。

 ところが皮肉なもので、石原氏が欠場し始めてから、俄然番組が面白くなるのである。第89話「もう一つの勲章」では、西川きよし師匠が友情出演。明らかに『ダーティハリー』をパク…いや、オマージュにした第96話「黒豹刑事リキ」(ゲスト:志賀勝氏)、第98話「ショットガン・フォーメーション」、後に九代目林家正蔵師匠となる当時こぶ平が出演の第101話「甦れ、ヨタロー!」、後にタレントとしてブレイクする阿藤快(当時:阿藤海)氏がイカレた犯人を演じた第102話「兇銃44オート・マグ」、高峰三枝子氏が特別出演した上に、フェアレディZが運河を越える大ジャンプという、日本のカースタント史に残る大アクションが展開される第104話「栄光への爆走」など、傑作が連発される。

 そして、入院中の石原氏に、もう一人、大きな助っ人が現れる。そう、舘ひろし氏である。渡哲也氏に心酔した舘氏は、石原氏の大病を機に、西部警察へのカムバックを決意する。そのため、刑事ドラマ史上前代未聞というか、後にも先にもこれっきりな出来事が起きる。殉職降板した俳優が、別人役で再びレギュラー復帰という離れ業である。一応断っておくと、卒業したレギュラーが戻ってきた話は後に『刑事貴族3』で益戸育江(当時:高木沙耶)氏が戻ったという例があるし、ゲストなら『ザ・ハングマン6』の第7話で、『ザ・ハングマンII』最終回で死んだはずのヨガ(演:ダイナレッドでおなじみ沖田さとし氏)がちゃっかり出てきた(そしてその回ですぐ死んだ)とか、『特捜最前線』の「退職刑事船村」の回で殉職した吉野刑事にそっくりな暴力団員(演:誠直也氏)が出てきたことがあった。

 舘ひろし氏は、鳩村英次刑事役で復帰するが、巽刑事と面識があるはずの大門も、リキも、ゲンも、何も言わない。どう考えても似ているし、バイク(一応ハーレーからスズキのバイクに替わってるけど)を乗り回すキャラクターはそのままである。「おい、タツ、生きてたのか!?」などとは一切言わない。あくまでも別人。巽刑事?誰それ美味しいの?ってくらい触れない。この裏話は石野プロデューサーが明かしていて、戻るとなった場合に「どうしよう?」「知らぬ存ぜぬで通そう」というわけで一切触れなかったという。舘ひろし氏自身も、10年以上前の「西部警察スペシャル」事前特番で突っ込まれた際、「西部警察に理屈は不要です。」という名言を話された。復帰作第109話「西部最前線の攻防-前編-」と、110話「西部最前線の攻防-後編-」は、中村竹弥氏がゲスト出演され、高視聴率(後編:22.3%)をたたき出した。この回は、静岡ロケが実施され、犯人側がミサイルを装備しているという設定(もはや刑事ドラマではない)で、大規模な爆破シーンが出てくる。また、オープニングタイトルバックの階段降りシーンのみ、石原裕次郎氏が復帰されている。ただ、テレビ復帰は『太陽にほえろ!』の「帰ってきたボス-クリスマスプレゼント-」が先で、西部警察への復帰はまだだった。

 第111話「出動命令・特車“サファリ”」からは、マシンXに続くスーパーメカ第2号として、特別機動車両サファリ4WDが登場。高圧放水銃を備えているという設定で、車を横転させたり、プレハブ小屋を破壊したりと活躍した。前回から登場した黒バイ隊「特機隊」の基幹車両となったのだが、実はこのサファリ、あんまり出番はなかった。有名エピソードに出てくるために勘違いされがちだが、早い話が「ウルトラマンタロウ」におけるゾフィー兄さんと思ってもらえればいい。ゾフィーより活躍してるけど。

 このあたりで、寺尾聰氏と石原プロモーション(っていうか番頭の小林専務)の軋轢がどうにもならなくなる。原因は、「ルビーの指環」だった。1981年に発売された寺尾聰氏のシングル曲「ルビーの指環」(寺尾聰氏は名優宇野重吉氏の息子であるが、元々グループサウンズのザ・サベージのメンバーで、ボーカリストだった)はロングヒットを続け、12月末には(当時は権威のある賞だった)レコード大賞を受賞する。コマサ専務のそろばん勘定が嫌だったこと、歌手活動と、西部警察の両立は難しかったこと、かねてから文芸作品に出たがったことなどから、裕次郎氏の「自由にしてあげよう」という判断で、石原軍団を離脱。華々しく殉職することとなった。第122話「リキ、絶体絶命」と第123話「-1982年・春- 松田刑事、絶命!」そして、石原裕次郎氏の復帰作、第123話「-木暮課長-不死鳥の如く・今」は、ファンの間で「リキ殉職三部作」と呼ばれ、3本で1ストーリーと認識されている。

 この後126話「また逢う日まで」で、『西部警察』は最終回を迎える。ここで、苅谷俊介氏、藤岡重慶氏、古手川祐子氏、佐原健児氏が降板となる。ここでシリーズが終わっていれば、渡哲也氏はいろいろな映画に出演できて、俳優としての幅がどんどん広がったのだろうけれども、番組はまだまだ続くのである。したがってこの文章もまだまだ続くのだ。

 『西部警察』は、前述の通り大河ドラマという強力な裏番組をおきながら、常時15%程度の(テレビ朝日的に十分すぎる)高視聴率を維持していた。そこで、さらにスケールアップさせるべく、ストーリーとキャストをリセットし、『西部警察 PART-II』がスタートすることになった。『大都会』シリーズは、各シリーズ全く異なる世界なのだが、『西部警察』シリーズでは、キャストは大部分続投しているし、「パラレルワールド」という位置らしい。前作に引き続き、主演の石原裕次郎氏、渡哲也氏と、舘ひろし氏、御木裕氏、峰竜太氏の石原軍団メンバーが続投。係長は庄司永建氏が続投。新規キャストでは、おやっさんに、井上昭文氏が登場。バーのママに吉行和子氏、大門の妹に保育士になった登亜樹子氏が登場。そして、破格の待遇となる、第1話~第3話にストーリー上主演したのが沖田五郎刑事役・三浦友和氏である。この時点で沖田刑事は「背骨に弾丸が入ったままで、摘出できないので、あと半年の命」という設定で登場していたが、途中から「あと1年の命」に変更された。

 私は、『西部警察』を見たことのない、これから初めて見る人には、『西部警察PART-II』から見ることを勧めている。理由は、このパート2から今でいうところの『西部警察』のお約束パターンが固まってきたので、安心して見られるからである。また、出演者であるが、パート1の場合、寺尾聰氏や苅谷俊介氏といったダンディー、あるいは無骨な刑事がいた一方、パート2は基本アイドル系というか、三浦氏・舘氏・御木氏・峰氏の4人が実にフレッシュなのである。つまり、一見さんでも取っつきやすいのだ。この「取っつきやすさ」は重要だ。

 また、音楽面では羽田健太郎氏が参加されたのが大きい。メインテーマ「ワンダフル・ガイズ」をはじめ、カッコイイ曲がずらりと並んでいる。音響監督の鈴木清司氏も心得たもので、PART-II以降は羽田氏が手がけた『科学救助隊テクノボイジャー』や『スペースコブラ』からBGMを多数流用している。ここで音楽に触れたのでついでだが、『西部警察』は流用音源が多数使われており(鈴木清司氏が関わった作品はだいたい流用曲多数)、サントラ買ったはいいけど「あれ?ないよ?」ということがざらである。西部警察の音楽探索は、コアな劇班マニアによって今も解析が続けられており、おそらく終わることはないだろう。

 PART-IIだが、私が『西部警察』シリーズ最高傑作だと思っているのが、第10話「大追跡!!静岡市街戦 -静岡・前編-」と、第11話「大激闘!!浜名湖決戦 -静岡・後編-」の2本だ。この2本は、ストーリーのおもしろさ、映像の迫力、カーチェイス、銃撃戦、爆破、全てのバランスがいいのである。そして、この静岡編を皮切りに、石原裕次郎氏は「元気になった姿を皆さんに見せたい」という意向から、それまでのテレビドラマではあり得なかった「日本全国縦断ロケ」を開催する。これは別名、「日本全国銃弾ロケ」ともいわれているが、東京近郊では大がかりな爆破やカーチェイスが規制から難しくなり、派手な絵作りのためには地方に行くしかないという事情もあった。特に話題になったのが静岡駅前でのロケで、なんとヘリコプターを駅前に降ろす撮影が行われたのである。普通はあり得ないことだが、石原プロはやってのけたのである。

 静岡編のクライマックスは、犯人の乗った遊覧船が盛大に爆発するのである。どう考えてもそんなに爆発しないはずなのだが、とにかく派手に爆発する。初めて見る人にはぶったまげ、間違いないのである。

 この後、第14話「男たちの絆」で、放映開始当初より「なんとかならんのかね、大門くぅ~ん!」と甲高い声で叫んでいた二宮係長・庄司永建氏が退職という形で番組を卒業する。降板理由は「長くやられていたので」(石野氏)だそうだが、卒業が決まった際、庄司氏は「殉職で」と申し出たそうだが、「係長は死にません!」(石野氏)という理由で退職になった。実際、コメディリリーフが殉職してはどうも様にならないので、これでよかったと思う。二宮係長は愛嬌のあるキャラでファンの人気が高かったが、その分翌15話から登場する佐川勘一係長・高城淳一氏(大都会の加川乙吉課長以来の登場)はちょっと割を食っている。これは単に高城氏の役作りが悪かったということでは一切なく(むしろ、いやみったらしい嫌われ役に徹するという意味では、高城氏も素晴らしい俳優だった)、主演編にも関係している。実は、「PART-I」は、比較的刑事の群像劇みたいな部分があって、個々の刑事にスポットを当てたストーリーが存在しており、二宮係長の主演編もいくつか存在しているのである。PART-I第26話「友情の捜査線」、第66話「17年目の誘拐」(メインゲストは高城淳一氏!)、第95話「刑事(デカ)の夜明け」がそれだ。これにPART-IIの退職編と合わせて、4本の主演ストーリーがある。ところが、高城淳一氏演ずる二代目係長の主演編は、なんと驚くなかれ、第27話「傷だらけの天使」(メインゲストは松本伊代氏)1本きりなのである。これは、このあと日本全国銃弾…もとい縦断ロケの都合というのもあるが、PART-II以降刑事の個々のエピソードが描かれない、主演編でも活躍はしても内面の成長を詳細に描写しない話が増えてくる。そういうわけで、「PART-I」の方がよかったという人もいるが、『西部警察』特有のあっさりさというのは、間違いなくPART-II以降のカラーリングなので、初めての人には「PART-IIいいですよ」ということにしている。

 そして、PART-II以降を勧めるのは、佐川係長の登場した第15話「ニューフェイス!!西部機動軍団」が大きく関係している。この第15話から登場したのは、高城淳一氏だけでない。マシンX、サファリに続くニューマシンが登場したのである。1台目は、「日産フェアレディ280Z フルオートガルウィング2By2スーパーZ」、通称「スーパーZ」である。渡哲也氏の乗ってた金色のフェアレディZといえば、西部警察を詳しく知らない人も「ああ、あれ!」と思い出されると思う。実は、あのフェアレディZ、PART-Iには一切登場せず(フェアレディZの白黒パトカーは大都会以来登場していたが、後に出演する石原良純氏にプレゼントされた都合で途中から出てこなくなる)、登場はPART-IIからなのだ。もう1台は、「日産スカイライン ハードトップ 2000 RS マシンRS」、通称「マシンRS」である。これは、赤黒ツートンカラーのスカイラインで、コンピューターやビデオカメラを搭載した情報分析車で、マシンXの後継車両(したがってマシンXは出てこなくなる)といった意味合いが強かった。これに、鳩村刑事役舘ひろし氏が運転する、スズキGSX1100Sカタナと相まって、車・バイク好きがますますヒートアップすることになったのである。

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窓が開かなかった上に直射日光がよくはいるので夏の撮影では、車の中はエアコンを使っても灼熱地獄だったそうな

 これらのマシンが大活躍するのが、第18話「広島市街パニック!!」である。この回は西部警察の歴史において、というか、広島電鉄の歴史に残るすごい話で、なんと広島市内を走る路面電車、広島電鉄を撮影のために全線通行止めにしてしまい、犯人に乗っ取られた電車の1両が操車場で爆発炎上するのだ。後にも先にも日本のテレビドラマで(廃車予定とはいえ)、路面電車を大爆発させたのはこれっきりである。翌19話「燃えろ!!南十字星」も広島ロケで、遊覧船の中で激しい銃撃戦が繰り広げられるのだが、話のインパクトでは18話の方がすごい。もちろん、縦断ロケの1本である。

 第26話と29話は北海道ロケを敢行。北海道の小樽市は石原裕次郎氏にとって思い出の街で、現在は小樽市に石原裕次郎記念館がある。26話「-北都の叫び- カムバック・サーモン!」では、豊平川河川敷でカーチェイスや大規模な爆破シーンが撮影されている。29話「燃える原野!オロフレ大戦争」(もはや刑事ドラマのサブタイトルじゃない)では、北海道オロフレ峠の荒野を舞台に激しいカーチェイスと爆破が展開された。当初は通常枠の予定だったが、映像の迫力が大きかったので90分スペシャルに格上げされたという、ちょっと不思議な1本である。ただ、この「オロフレ大戦争」は、明らかに同じ車両クラッシュや映像の使い回しが多い上に、クライマックスはずっと「ドカーン!」だけなので、正直飽きる。オンエアされたのが1月2日だったので、正月特番としてみればこんなもんなのだろう。この回では、北海道の廃ホテルを所有者から買い取って爆破させているのだが、スタッフの中では思ったような爆破でなく、この時の経験が後に頻発する「やっぱ建物建てるなら爆破用の建物作らないとダメだ!」という話につながっていく。

 第33話「鑑識ナンバー106」は、「PART-I」第2回からずっと脇役で出続けていた国立(くにたち)六三鑑識課員、通称「鑑識のロクさん」を演じていた武藤章生氏の主演エピソードである。武藤氏の主演編は、この回と、「PART-III」の第59話「跳べ!探知犬リュウ」(脚本はシリーズ唯一の高久進氏担当作品)だけなので、貴重な話である。

 第35話「娘よ.父は…浜刑事・絶命」では、浜刑事役の井上昭文氏が殉職降板。ハードでタイトな撮影スケジュールにより体調を崩し、急遽降板が決まったという話を聞いている(確かに第28話「涙は俺がふく」には未出演)が、これについては確定的な情報ではないので分からない。翌36話「八丈島から来た刑事」では、ウルトラマンと仮面ライダー双方にレギュラー出演していた伝説の名優小林昭二氏が登場。長さんこと、南長太郎刑事役を熱演していたが、雰囲気が完全に「立花のおやっさん」なので、『西部警察』の子ども番組っぽさにますます拍車がかかるようになってしまった。

 第37話「戦慄のカーニバル-名古屋編-」では、ついに縦断ロケが名古屋に登場。名古屋といえば、舘ひろし氏の出身地ということで、舘氏の出番が翌38話も含めて多い。37話では、「ステーキのあさくま」藤が丘店が爆破され、しばらくの間その店は「西部警察で爆破されました!」が宣伝文句だった。芸能人ご来店でなくて「爆破されました!」が売りな上に、客も「ここよ!西部警察で爆破された店」って利用しているのだからすごいものである。クライマックスでは、三重県のナガシマスパーランドで爆破を伴った激しいカーチェイスが展開された。このロケでは、ナガシマスパーランドにつながる国道23号線が、三重県の長島から愛知県の刈谷市まで、ロケを見ようとする見物客によって激しい渋滞(距離にしておよそ40km)が引き起こされたという伝説が残っている。

 第38話「決戦・地獄の要塞 -名古屋編-」では、二村化学工業(現:フタムラ化学)の旧工場にあった煙突を爆破している。この回のシナリオがあがってきた段階で、石原氏をはじめ全キャストが「なんで煙突倒れるの?」「煙突なんか倒して何が面白いんだ」と総スカンだったそうだが、完成した映像はとんでもない迫力だった。この煙突爆破は、平日に行われているのだが、爆破ロケ当日は老人主婦どころか、なぜか小学生からサラリーマン風の人まで庄内川河川敷に大集合している。この頃小学生だった名古屋の男性には、「西部警察のロケがあって学校休みたかったけど、親が許してくれなかった」というエピソードをもっている人が多い。(私自身は今のところ、「学校(会社)休んでロケに行きました」という猛者はまだ会ったことがない。「学校終わって走って行ったけど煙突はもう倒れてた」という人には会ったことがある。)

 このあと第40話「ペガサスの牙」で、PART-IIは最終回となる。ただ、実はこの最終回、単に番組改編期だったからというのが理由で、その後の7本の脚本には「西部警察PART-II」という表題がついている。とにかく、その2週間後、1983年4月3日より『西部警察PART-III』がはじまった。(完全にPART-IIの続編)

 第5話「生命果つるとも」、第6話「沖田刑事・絶唱!」にて、PART-II第1回より出演してきた三浦友和氏が殉職降板。正確には退職して雪山に消えていくというストーリー展開なのだが、後に石原プロモーションが出していた総集編DVD「殉職-わかれ-」では、殉職刑事の一人として扱われているし、ちょっと変わった形式だが、私自身もこれは殉職だと思っている。

 翌7話「“大将”がやってきた!」より、柴俊夫氏演じるシルバー仮面…じゃなかった、山県新之助刑事、通称「タイショー」が登場。柴俊夫氏は、前述した『浮浪雲』に出演されていた縁で呼ばれたらしく、渡哲也氏より「荒唐無稽な番組ですが、出ていただけますか」と口説かれているそうだ。本来第8話の予定で制作された第11話「狙撃」で、PART-II名義の制作は終了。ついに、脚本表題もPART-IIIになる。

 この記念すべき『西部警察PART-III』第1回制作作品、第8話「1983・西部署配属-五代純-」より、ジュンこと五代純刑事で登場するのが、前年の1982年、映画『凶弾』で「石原裕次郎氏の甥っ子!」(つまり、石原慎太郎氏の次男)という触れ込みでデビューした、現気象予報士(※ハズレ前提)石原良純氏である。役名の五代純は、「栄光への5000キロ」で石原氏の演じた主人公・五代高行にちなむといわれている。名前の「純」は、「石原良純」の「純」という説と、石原プロモーションの借金を肩代わりした上に石原氏の飲む酒を大量に供給してくれた宝酒造の焼酎「純」にちなむという説が存在している。実をいうと、石原良純氏は、西部警察出演中から「純」のCMキャラクターを担当しているので、おそらく後者が正しいと思うが、ここはまだ分からない。この第8話では、本編中に「本名…石原良純 役名…五代純」とテロップが登場し、ファンの間でも「本編中に本名:石原良純」というシチュエーションに猛烈な突っ込みが入る。本放送では、番組のアバンで「石原良純です!よろしくお願いします!」という映像までが挿入されたという。これによって割を食ったのが、若手刑事役だった御木裕氏で、全く目立たなくなってしまい、その後のキャリアが低迷する遠因となってしまった。

 第9話「白銀に消えた超合金X!-福島・前篇-」、第10話「雪の会津山岳決戦!-福島・後篇-」では、福島県の日中ダム建設予定地に敵組織が使用する要塞をわざわざ3000万円掛けて建設し、クライマックスで爆破するという展開を見せた。この回では、御木裕氏が体調不良で出演を見合わせているが、雪の会津山岳地帯で、寒さに負けず激しい戦闘を繰り広げる(※もはや犯罪捜査ではない)大門軍団の激闘に心が震えてくる。

 第14話「マシンZ・白昼の対決!」は、ストーリーは大したことがないがいろいろ曰く付きの作品で、スーパーZの偽者が登場するのだが、予告編や番宣スチール、流出台本などからスタント用(影武者)のスーパーZが爆破されたはずなのだが、本編ではただ単に富士スピードウェイでレースして終わっている。おかげで「日産がフェアレディZを爆破させたことに怒った」をはじめ、様々な陰謀論が唱えられたのだが、実際の所は初号試写を見た小林正彦専務が「富士スピードウェイだけで終わらせるように」とリテイクを要求、追加撮影と再編集されたというのが真相だったらしい。

 第16話「大門軍団フォーメーション」より、マシンRS-1・RS-2・RS-3の3台のスカイラインが登場。RS-3のみマシンRSの再改造車両だが、赤黒ツートンの3台のスカイラインは、ここから登場である。RS-1にはついに20ミリ機関砲が搭載されてしまった。ただ、流石に使いどころが難しかったらしく、この機関砲は2回しか使われていない。

 そしてここら辺から、『西部警察』は徐々に失速していく。常時15%前後あった視聴率は、13%前後で推移し、10%を切ることも珍しくなくなってくる。この原因はいくつかあって、まずはマンネリだ。ストーリーの基本フォーマットは、事件が起きて、ちょっと捜査したらすぐ犯人が分かって、犯人のアジトに乗り込んだら逃げる犯人とカーチェイスして、埋め立て地に逃げ込んだ犯人と銃撃戦の末、渡哲也氏のショットガンが火を噴き、車が爆発して逮捕するという流れで、さすがに4年続けば視聴者も飽きる。また、終盤銃撃戦を繰り広げていた芝浦の埋め立て地の開発が進み、東京都内でアクションできるロケ地が少なくなり、アクションが小粒になっていったことも大きい。PART-IIIは基本、地方ロケ回以外は見なくてもそんなに支障はない。さらに、地方ロケに集中的に予算を投入するため、それ以外の通常エピソードでの予算が大幅に削られてしまったことも原因の一つだ。第26話「ぼくらは少年探偵団」、第28話「大将と二等兵」あたりから、通常回の人情刑事もの路線が色濃くなってきている。もちろん、第17話「吠えろ!!桜島-鹿児島篇-」、第18話「パニック・博多どんたく-福岡篇-」、第19話「決戦!燃えろ玄界灘-福岡篇-」、第23話「走る炎!!酒田大追跡 -山形篇-」、第24話「誘拐!山形・蔵王ルート -山形篇-」といった地方ロケ回では、車と火薬とガソリンと銃弾が重点投入されただけあり、どれも面白い(特に酒田ロケの23話は素晴らしい)のだが、それ以外はかなりつまらなくなってくる。

 地方ロケ回としては、その後第32話「杜の都・激震!! -宮城・前篇-」、第33話「仙台爆破計画 -宮城・後篇-」、第39話「激闘!!炎の瀬戸内海 -岡山・高松篇-」、第40話「激突!!檀ノ浦攻防戦 -岡山・高松篇-」、第48話「激追!!地を走る3億ドル -大阪・神戸篇-」、第49話「京都・幻の女殺人事件 -京都篇-」、第50話「爆発5秒前!琵琶湖の対決 -大阪・大津篇-」があるのだが、PART-IIIは基本この辺だけ見ておけば十分である。さらに付け加えておくと、49話はシリーズ最低視聴率の6.8%を叩き出し、せっかく友情出演された西川きよし師匠にも失礼な結果となってしまった。

 PART-IIIでこれら以外で話題になる話といえば、第22話「最上川舟唄」(吉行和子氏が降板する話)、第47話「戦士よ、さらば…」(マシンXが再登場したと思ったら爆破される話。ただし、爆破されるのは影武者で、本物は現存している)、第52話「北帰行」(ブレイク前の佐藤浩市氏が犯人役で出演)、第58話「さらば老兵」(1984年にオンエアされて視聴率15%を超えた数少ない話)、第60話「父と子の激走!-ニューマシン・刀R-」(舘ひろし氏の希望していたオーダーメイドバイクの登場エピソード)あたりであろうか。

 それから、第33話と第34話の間、1984年1月1日に「燃える勇者たち」という2時間スペシャルがオンエアされている。この回は、メインゲストに勝新太郎氏、財津一郎氏、丹波哲郎氏、倉田保昭氏が登場し、愛知県ロケが実施されている。この回は2005年に「西部警察スペシャル」セル版DVDの特典映像としていち早くDVD化を果たしたものの、それが原因でセレクションDVDボックスやレンタルDVDに収録されず、リマスター版はあのバカ高い全話ブルーレイボックスでしか見ることができない。リマスター版のレンタル解禁、あるいは普及DVD版発売が待たれている。余談だが、クライマックスの突入シーンでは、RS-2とRS-3の2台しか登場していないが、撮影を見た人のブログによるとRS-1はエンジントラブルで動かず、待ちきれなくなって撮影を完了したら、終わったところでエンジンが動き、コマサ専務が激怒したという。今回に限らず、スーパーマシンは改造車両のためトラブルが多発したようで、エピソードによって出てたり、出てなかったりということが多々ある。

 こうして、日本全国を縦断ロケで火の海にしてきた『西部警察』シリーズであるが、「もう爆破するものがない」「ネタが尽きた」といった理由から、ついに番組の終了が決定する。第67話「真夜中のゲーム」は、完全に西部警察終了後を見据えた舘ひろし氏のプロモーション映像となっており、脚本の柏原寛司氏のタッチも、その後の『あぶない刑事』というか、この回の鳩村刑事はどっからどう見ても港書の鷹山敏樹刑事そのもので、その後『あぶない刑事』が好きな人は見ておくべき1本である。

 レギュラー放送最終回の、第68話「-青春-愛の旅立ち」では、軍団のひとり秋山武史氏や、石原裕次郎氏の盟友・宍戸錠(エースのジョー)氏が出演。その翌日にオンエアされたのが、最終回3時間スペシャル「さよなら西部警察 大門死す!男達よ永遠(とわ)に…」で、この回はシリーズ最高25.2%の視聴率を記録し、番組終了に花を添えている。

 この最終回スペシャルは、シリーズ初の海外ロケである、パリロケにはじまり、北海道(札幌・夕張)・福岡・静岡・瀬戸内海(岡山)でロケを行っている。北海道ロケでは、人が住んでいる建物を買い取り、引っ越してもらった上で爆破している。その際ガソリンが余っていたために全部使ったところ、舘ひろし氏曰く「目を上げたら、そらじゅう、火」になったそうである。舘氏がこのことをコマサ専務に突っ込んだところ「サービスじゃっ!」と断言されたらしい。犯人役は当初、松田優作氏にオファーがいっていたが、「渡さんを殺すのは、役の上でも嫌だ」と固辞されたために、原田芳雄氏が担当。このほか、宝田明氏、中丸忠雄氏、武田鉄矢氏(本人役)、山村聰氏などの豪華ゲストが登場している。最終話の制作費は6億円程度で、クライマックスの爆破シーンでは1トン以上のガソリンを使用。瀬戸内海の無人島・犬島(設定上は九州の無人島)に激しい爆発音と爆風が轟いた。

 ただ、この爆破ロケ、ちょっとよくないことがあって、爆破した後の鉄骨や足場、残骸などを石原プロは片付けず、放置していってしまっている。ラストで爆破したアジトの鉄骨部分は、現在も残っており、ロケ中の荒っぽい話などから一時期、犬島はテレビドラマや映画のロケを一切受け入れないことが続いていた。こういう負の情報は、公式ムックには一切載らない話なので、あえてここに記しておく。

 ラスト。これまで数多くの敵を倒してきた渡哲也氏…鳴神涼刑事であり、黒岩頼介刑事であり、大門圭介部長刑事は、原田芳雄氏の情婦役の中村晃子氏に撃たれ、壮絶な殉職を遂げることとなる。霊安室のシーンでは、石原裕次郎氏自身たっての希望で、最小限のスタッフ(カメラと監督のみ)をスタジオに入れ、渡哲也氏に語りかける場面が撮影された。

 この時の、石原氏=木暮課長の台詞は、当初の台本に一切ない、石原裕次郎氏のアドリブである。「俺は、あんたのことが、弟のように好きだった…!ありがとう…、ありがとう…!!」この台詞には、大都会や西部警察のために、俳優としてキャリアが最も乗り切った時期を全て石原プロに捧げた渡哲也氏に対する、最大のねぎらいが込められていたといわれている。そして、渡哲也氏自身、そろばん勘定でドラマばかり作るコマサ専務や石原氏へのわだかまりが解けていったことを、後に告白している。

 最終回の石原裕次郎氏といえば、『太陽にほえろ!』の最終回でもアドリブを披露していて、「俺の部下に、スコッチって刑事がいてね…」と、収録当時すでに鬼籍に入っていた沖雅也氏の名前を出した上で、「部下の命は、私の命」という名演を披露している。このシーンでは、「数年前に心臓を切る手術をして」などと話していたほか、「命ってのはさあ…」と、自分の命がすでに消えかけている(肝臓ガンはすでに石原氏の体をむしばんでいた)ことをうすうす自覚しているかのような言葉を使っている。役者としてみると演技がそこまでうまいタイプではなかったが、ここぞという瞬間、限りなく記憶に残る輝きを見せる、不世出の大スターだったことは間違いない。

 そして、渡哲也氏とともに、作品全体からにじみ出る男臭いオーラは、永遠の少年たちの心を捉えて放さないのである。そう、『西部警察』というのは、少年の心をもった男達へ送る、石原裕次郎氏と渡哲也氏が奏でる、大人のメルヘンなのである。正直、今の目から見ると荒唐無稽で、話が荒っぽくて、駄作エピソードもある。だが、5年間236話を駆け抜けた嵐は、多くの人の胸に刻み込まれ、石原プロモーション=西部警察という図式が完成するほどになっている。平均視聴率は、NHK大河ドラマ『草燃える』『獅子の時代』『おんな太閤記』『峠の群像』『徳川家康』『山河燃ゆ』の方が高かったかもしれない。しかし、35年が経って、DVDやムック、プラモデル、ミニカー、カラオケと『西部警察』のムーブメントは続いている。そして、その後『西部警察』と同じ方向で勝負する刑事ドラマは、初期の『ゴリラ 警視庁捜査第8班』を除き、一切作られていない。この『西部警察』のすばらしさを、まだ未見の人ならば、是非見て、男の世界に酔いしれていただけたら、この上ない喜びである。

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少年の心をもった男達がいる限り、『西部警察』は永遠なのである…!




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2004年にオンエアされた『西部警察SPECIAL』から11年。石原プロモーションが、新作映画で『西部警察』を作るという情報が出ている。


7/23
エンジン

 すべては、あの夜から始まった。

 2013年8月、東京旅行中、ジャーナリストの安田浩一氏に誘われ、酒を酌み交わした中で(といっても私はウーロン茶だったけど)何気なく尋ねられた一言がきっかけだった。(ちなみにその酒席には、フリーライターの朴順梨氏、活動家の山口祐二郎氏、出版社「ころから」の木瀬貴吉氏がいらっしゃって、冒頭だけなら中川淳一郎氏もいたので、今考えるとすごいメンバーと酒を飲んだことになる)話題は当然、ネット右翼の話とか、世代間の考え方とかだったのだが、当然このサイトのコラムのようなネタを展開したので「Zガンダムとエヴァンゲリオンを見ていた世代の考え方の違いは」みたいな痛すぎるオタ話をしてた。

 その中で、安田氏がふと「なぜネット右翼は、李明博の竹島上陸にあそこまで激怒しながら、メドベージェフの北方領土訪問をあそこまでスルーしたのだろう?」という疑問を述べた。これをお読みのネット右翼の方にあらかじめ断っておくけれど、ネット右翼を揶揄したり、からかったりするニュアンスではなく、心底の疑問として出た言葉だった。これは、しらふだったから間違いなく断言できる。「民族派は、メドベージェフにも怒った。でも、ネット右翼はメドベージェフには(在特会のようなデモをするような態度で)怒らなかった」と言った。

 この言葉に、私は困った。確かに、なんでだろう。うまく説明できず、「韓国は目下だから、ですかねえ」みたいなことを言ったら、隣の朴順梨氏が「つまり、ネット右翼の論理は、韓国に対して、のび太のくせに生意気だぞうっていうジャイアン的な考えを持ってるってこと?」と激しく突っ込まれた。実際、韓国は下に見てる気がするが、結局その話はそこで終わって、当時新大久保で行われていた在特会のデモの話や、カウンター(しばき隊)の話になったはずだ。

 そこから2年近く、あの夜からこの時の疑問が常に頭の中にあった。それは、いわゆるネット右翼問題について、コメントしているその辺の学者やコメンテーターより、私の方が詳しく、正確に説明できるという自負があった中で、「説明できないこと」が腹立たしかったこともあるし、自分自身「なぜメドベージェフと李明博でここまで温度差ができたのか」という自分自身の感情を説明できない「気持ち悪さ」に納得がいかなかったからだ。暇さえあれば「なぜだ」と考えるようになっていた。当然、この問題に関係する本も読んだし、報道にも触れた。その中で考えていったが、ますます分からなくなった。

 韓国の人々は、日本の嫌韓感情の高まりについて、当初戸惑っていた様子がうかがえた。何の本かコラムか忘れたが「韓国は何も変わっていないのに、日本だけが突然敵視し始めた」という市民の声も聞いた。確認しておくが、この酒席は2年前だ。当時は、朴槿恵が大統領になっておよそ半年後で、まだ日本のメディアが「朴正煕の娘だから親日で、日韓関係も改善されるだろう」みたいな論調が見られた頃だ。その後、朴槿恵は慰安婦問題や歴史問題を中心に反日政策をとり、日本と韓国相互の感情はあの時よりさらに悪化した。

 相互感情の悪化により、マスメディアは犯人捜しを始めた。ヘイトスピーチ問題と絡めて「日本の中の一部で差別的な思想をもったけしからんものがいる」という結論づけたもの、加藤直樹氏に「日本が停滞する中で、成長してきた韓国に嫌悪感を感じたこと」というずれた発言を報道したもの、「李明博の竹島訪問をきっかけに」と、彼が竹島に上陸さえしなければと述べるもの、安倍政権の強硬姿勢を原因とするもの、様々な報道があふれた。結局メディアは嫌韓の原因を分かってないか、分かっても報道したくないのだなと思うようなものが多かった。そして、メディアの中でも「なんでメドベージェフはOKで、李明博はダメなの?」という報道は出てこなかった。説明できないことは報道しないのだ。

 あれから2年、考えるまでに相当苦労した。そして、自分なりに納得いく結論が出た。これはカウンター側はもちろん、インテリゲンチャ、メディア、文化人、評論家にはたどり着けない結論であり、世界でも私しか指摘できないポイントである。そして、この結論は、メディアに絶対掲載されない。掲載できるマスコミがあったら掲載してみやがれ。

 嫌韓感情の増幅については、すでに多くの有識者がいろいろ考えて指摘しているので、いちいち説明することを避けたいが、いくつかのきっかけが存在している。そもそも日本では、1995年の阪神・淡路大震災と、オウム真理教事件をきっかけに、社会の集団化が進んでいた。この辺は森達也さんの著書に詳しい。社会の集団化は何をもたらしたのかというと、社会全体が群れる羊のように、同じ方向に怒濤の如く進む、スタンピードのような状況に陥ってしまった。集団化によってもたらされた代表的なものに「空気を読む」というのがある。予定調和ではないけれど、何となく決まりかけた場の雰囲気を壊すことに対して「空気を読めよ」という非難が出るようになってきた。また、集団化の過程において、没個性的な、汎用性が重視されるようになってきた。最近は個性重視だというけれど、実際のところ社会は、個性を重視していない。そうでなければ就職戦線で量産型のリクルートスーツを着て来ないはずだ。私の友人は、合同説明会にストライプの入ったスーツを着ていたがために、新卒と思われなかった(企業の人だと思われてた)ことがあったし、灰色の背広を着ていた別の友人も既卒扱いされていた。以前勤めていた会社の話だが、「新入社員は白シャツ」みたいな空気は確かにあった。考えてみれば滑稽な話なのだが、日本の企業はそういう滑稽な空気を読む若者をほしがるし、若者は若者でそういう人材になろうとする。

 森達也氏は、集団化が進んだ社会では、異質なものを排除する動きが高まると指摘している。この原稿に関係するヘイトスピーチも、集団化の副産物で、在日コリアン=日本人じゃない=異質な存在という排除の論理が働いている。それから、集団化というのは、社会不安が原因としてある。引き金は地震とテロ事件だけれど、雨宮処凜氏は同じ1995年に派遣労働者を増やすようにと提言した日経連との奇妙なリンクを指摘している。つまり、天災と凶悪犯罪が発生し、出口の見えない不況の中、雇用が流動化しつつある状況から、社会はどんどん集団化を進めていったのである。

 ここまでは有識者の話を要約したもの。ここから本題。

 集団化というけれど、どういう集団なのかという問題がある。マズローの所属の欲求じゃないけれど、人間というのは何らかの所属をほしがる。会社だったり、団体だったり、学校だったり、クラブやサークルだったり。本当の意味で一匹狼というのはまず、いない。ところが、現代社会というのは、この所属感をどんどん希薄にしてきた社会であると言える。会社に所属しているといっても、ある意味形式的で、「どうせそのうち転職するんだろうし」みたいな感覚の人が増えつつあるような気がする。前述の、勤めていた会社も、取引先も、新卒で入った生え抜き人材なんてそうそういなくて、ほとんど既卒だった。そして私を含め、腰掛けだった。「この会社に、業界に人生を捧げて」なんて、そんなモーレツ社員はいなかった。もしそんな人がいれば、私は辞めなかったかもしれない。あの業界の中で、尊敬できる人に出会えなかったことで、「会社組織」への所属感は、隷属という意識に変わっていったような気がする。

 そして、現代社会というのは、地域コミュニティを破壊してきたという事実もある。今、私が一人で住んでいるのは名古屋市で、確かに生まれてこの方名古屋市民であるし、名古屋市に愛着があるかというと住みやすい町で愛着はあるが、では地域とどんなつながりがあるかというと、住民税を払っているくらいなのである。住み始めて1年弱だけれど、この町に住む人と言葉を交わすなんて、同じアパートの住民に挨拶するくらいで、あとはコンビニの店員と牛丼屋で言葉を発するくらいだ。つまり、名古屋市に住んでいるけれど、名古屋市に所属している実感は、ない。「我が町に愛着がある」人もいるのだろうが(地方なんかは多そうだ)、都市部における30代半ばより年下の人たちに関していえば、住んでいる町に対する所属感がきわめて低いと感じる。社会学的な統計採ってないから分からないが、そういう側面が若い世代から出てきている。(そして、そういう人はかなり保守的である)

 では、どこに所属しているのか。日本という国に所属しているのである。

 ナショナリズムというと、どうしても国家主義や国粋主義的な話だが、所属感を国家に求めるニュアンスである。これを香山リカ氏は「ぷちナショナリズム」という表現を使い、多くの言論人は「右傾化」という言葉を使った。集団化の過程の中で所属欲求を満たす存在として、日本という国家が選ばれたというだけの話である。だから正直言って、ナショナリズムとか右傾化という表現はちょっと違和感があるが、彼らのもつ言語表現の中で現状の違和感を分析するとき、そういう言葉しかもってなかったということで納得している。

 この日本への所属感が強化される中で起きた悲劇が、2002年のサッカーワールドカップだった。日本単独開催のはずが、共催になり、韓国側のラフプレーや不可解な判定、それを報じないマスコミ等、現在の社会問題が1995年に始まっているとすれば、加速したのは2002年だったのである。

 韓国は反日である。日本をおとしめようとしている。そういうイメージが、一瞬でネット上に拡散した。実際、慰安婦問題をはじめとする歴史認識では、韓国政府は謝罪を引き出すのが目的ではなく、日本より優位な立場を維持する目的で歴史問題を引き合いに出す、目的をはき違えているように見える外交政策を採ってきている。この政策は、「所属は日本国だ」と思っている人々にとって、自分の所属を脅かす敵意にしか見えないのである。

 森達也氏は「セキュリティ意識」という表現を使っているが、集団化が進む中で、社会的なセキュリティ意識は高まっていく。セコムやALSOKと契約する家庭や会社は増えているし、犯罪に対する不安感は増えている。体感治安は悪化しているし、理解できない犯罪も増えている。日本が危ない、という紋切り型の表現ではないのだけれど、そういう意識を持つ人が多くなったことは確かだ。とはいえ、確かに危機的な状況であることは変わりなく、世界的にも疲弊している国は多い。リベラル文化人が大好きなドイツだって、表だった人種差別は目立たないにせよ、水面下におけるアジア人蔑視はかなりあると聞いている。02年ワールドカップの嫌韓意識だって、そもそもは「日本が危ない」という話だった。そこから派生して「日本は在日に乗っ取られている」みたいな物言いが出てくるのだけれど、そこまで書くと話がずれるのでやめる。

 ここまで読んだ人の中で「それはもうさんざん指摘されてるよ」と思う人もいると思うが、この先が重要なのでもう少しお付き合いいただきたい。

 つまり、李明博氏の行動には「日本が危ない」と多くの人が思った一方で、メドベージェフ氏には多くの人が「危ない」と思わなかったということになる。それは何かというと、報道の差ということだ。「そりゃ嘘だ、メドベージェフの時だって報道した」その通り、報道された。問題は、それに至る過程の話だ。

 私はここで、2007年と2011年に起きたメディアの大きな変化を指摘する。それは、2007年の「毎日jp」開始と、それに伴うMSNと産経新聞の提携、2011年の朝日新聞有料化である。

 2007年以前、ネットのニュースは比較的多様なソースを示していた。MSNと毎日新聞が提携することで、以前は毎日新聞ソースの情報を割と見かけた。「2ちゃんねる」のニュース速報でも、朝日新聞ソースのものは多かったし、その頃は「アサヒ・コム」として無料で閲覧することができた。確かにその頃から朝日新聞を「アカヒ新聞」と揶揄する動きはあったが、ネット上で朝日新聞の記事は大体無料で読めた。今でこそニュースサイトなど有料化や課金をしているウェブサイトは多いが、15年前は「ニュースサイトは無料が当たり前」だった。それは現在でもあまり変わっていなくて、ネットのサービスに課金することへの抵抗感は大きいし、実名で書いた有料コラムより匿名で書かれたブログの方がアクセス数が多いと言うことだってよくある話だ。

 インターネットの時代に、大手新聞社は記事の有料化に舵を切った。これは分かる。紙の新聞が売れなくなる中で、無料で記事を公開することは企業体力にも多少影響するだろうし、何よりユーザーの不公平感にもつながる。ところが、ある新聞社だけは、毎日や朝日とは逆に、むしろ記事のネット配信を強めていった。外部サイトに掲載させることで、いくらかの契約金を得ようという話である。そこはどこか。産経新聞である。

 産経新聞は、韓国や北朝鮮についての報道が多い。代表的なものは黒田勝弘氏だが、韓国の事情を詳しく報道する。私は紙の産経新聞をじっくり読んだことがないので分からないが、おそらくそういう記事は国際面の端の方に埋もれていて、よっぽど好きな人でもなければ気付かない記事なのではないかなと思う。これはネット時代の特徴で、これまであまり目に触れなかった記事が、SNSやブログで拡散されると言うことがよくある。

 そして、朝日新聞や毎日新聞が有料化に伴い無料ウェブサイトへの出稿を停止した結果、ニュースサイトのいわゆる普通の新聞記事が産経新聞だけになってしまったのである。その結果何が起きたか。産経新聞の韓国記事が、多くの人の目に触れ、その結果ネット上で大々的に拡散されたのである。

 産経新聞の記事そのものに、人種差別を扇動する意識はないと思いたい。ただ、この記事を拡散する人々と、それを読んだことによる違和感が、結果として韓国への不安感や不信感、あるいは敵意を感じさせたとしても不思議ではない。あるいは、それを読んでいく中で、「韓国に自分の所属する日本がおとしめられている」というセキュリティ意識が働くことがあり得る。冷静に考えれば、韓国が外国で日本の悪口を言おうと、竹島の帰属権を主張しようと、給料は増えも減りもしない。近所の松屋はセールをしない。自分の生活は何一つ変わらない。ところが、現代、日本に所属している(という共同幻想を信じる)ことで安心している人にとって、「日本を脅かす存在」が、いつしか「自分自身のアイデンティティを侵害する存在」に変わっていくのである。

 こういうことを述べると、「いや、韓国が悪いのだから」と否定する人が出てくる。別に所属感とか関係ないよ、日本を脅かす存在に対抗しているだけだ、と。実際、韓国政府の内部には日本への憎悪としか思えない発言をしている人がいるが、そういう人ほど、この手の報道に触れるたびに、韓国への怒りが蓄積されていく。そして、その怒りが、李明博前大統領の竹島訪問と、天皇陛下への侮辱発言(これは一応向こうは否定してるのでデマの可能性もあるけれど、元々韓国側は天皇陛下を日王と呼んでる時点でかなり分が悪い)で爆発したのである。山野車輪氏は、新書『嫌韓道』で、「私たち日本人が我慢してきたのに」というニュアンスで韓国を批判している。これも同じだ。「自分の所属を脅かすことに耐えてきたが、もう我慢できない」という論理なのである。

 これで何となくおわかりだろう。なぜロシアにはあそこまで嫌悪感が爆発しないのか。産経新聞が報道しない、あるいは報道しても、量が韓国・北朝鮮・中国に比べて相対的に少ないからだ。だからといってロシアに好感があるかというとそういうわけではないはずであるし、プーチンは手強い男だという印象は多くのネットユーザーが感じているはずだ。歴史をよく知るネットユーザーは、北方領土占領の経緯を手厳しく批判している。もしも産経新聞が、ウラジオストックや樺太、北方領土にいる保守的ロシア人の愛国的行動(そんなものがあればの話だけど)を大々的に報じていれば、メドベージェフ氏の北方領土訪問の時、李明博氏と同じような反応が起きていたはずである。報道の分量から、ロシアはそこまでセキュリティ意識を人々に感じさせなかった。ただそれだけなのである。(もちろん、一部には韓国を叩くことが目的化している人の存在もあるし、それが目立つというのもあるが、ああいう人たちは絶対数で言うとそこまで多くないはずである)

 この報道の量というのは、普通の主婦を愛国運動に向かわせることがある。別に政治に興味がない、2ちゃんねるもまとめブログも見ない。本屋に行っても買うのはファッション誌。そういう人がいつの間にか嫌韓に目覚めることがある。そういう人もこれで説明できる。ネットニュースだ。産経新聞が、SAPIOが、あちこちのネットニュースに出稿している。何気なくクリックする。そこに出てくる危機を煽る言葉。「え、なにそれ?どういうこと?」そのうちに、気付くと「許せない!」という言葉が出てくる。

 そうかぁ、産経新聞が悪いのか、産経新聞はヘイト新聞社だ、けしからん!そういう考え方も分かるが、本来産経新聞は、「出稿してくれ」という依頼があって、契約があり、カネをもらって出稿したに過ぎない。そもそもそこには、朝日新聞や毎日新聞の記事があったはずなのだ。それがいつしか、産経新聞に置き換わった。なぜか。有料化に走ったからだ。産経新聞だけが悪いのだろうか。

 どうも朝日新聞はこのからくりに気付いたらしく、最近はYahoo!に出稿するようになった。といっても無料で読める部分だけ出稿していて、肝心の記事の終わりはぶった切られたままだし、ネットの住民に朝日新聞への不信感をここまで喧伝された中での失地回復は簡単なことではない。毎日新聞も、完全な有料化を進めながら、一方で産経新聞の寡占が進むネットニュースに再び食い込むべく出稿を続けようとしている。だが、ネットニュースサイトによくある記事へのコメントが反論で埋め尽くされる現状では、なかなか難しいものがある。

 何より、朝日も、毎日も、記事の有料化を取りやめる気配はない。産経新聞も一部有料に傾きつつあるが、ネットへの出稿の方が利益になるなら、そちらをやめるいわれはない。そして、ニュースサイトも、全てスポニチと東スポというわけには行かない。こうして、メディアの功利主義によるエンジンがひたすら稼働し続ける。

 アクセルを踏み込む。エンジンの音が高くなる。高く…高く…高く……。ブレーキを踏まぬまま、走り続けるエンジンは、いつ、止まるのだろう。


5/22
ガトリングは男のロマン!~洋画がサブカルに与えた影響~

※今回の原稿は構想時にはテンションが高かったものの、執筆時にはそのテンションがだだ下がりで、画像とか貼るのがめんどくさいので、本文中の固有名詞については各自、自習です。ぐぐってください。

 ガンダムのプラモデル、ガンプラが発売されて35年。プラモデルショップに最近行っていない人にとって、今から書く話は全く意味が分からない話である。ただし、分からなくてもあまり人生に支障はない。

 ガンダムシリーズ最新作「ガンダム ビルドファイターズトライ」のカスタムパーツ、HGビルドカスタムシリーズを手に取った時、あなたは何かに気付くはずだ。リリースされたパーツの半分に、ある種の部品が付属している。それは何か。ガトリングパーツである。

 パワードアームズパワーダーには、大型ガトリングパーツと、腕部に装備する小型ガトリングが付属している。紅ウェポンには、ビームガトリングガンパーツが付く。モックアーミーセットには、モックビームガトリングという大型ガトリングガンパーツが付属する。6月に発売されるビルドカスタムの商品名は、「ジャイアントガトリング」だそうだ。HGBCに限って言えば、ガトリング率は、なんと5割ということだ。似たような部品はモデラーに敬遠される。つまり、ガトリングパーツは、多くのモデラーに支持されているということになる。

 実際、ガンダムシリーズにおいて、ガトリング型武器は、大きな存在である。ガンダムシリーズの1作「機動戦士ガンダム ユニコーン」に登場する主役モビルスーツ(ガンダム世界でロボットはモビルスーツと呼ぶのです。念のため)RX-0ユニコーンガンダムは、大型のビームガトリングガンを装備している。ガンプラのブランド「ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー」でリリースされた、あまり人気のないモビルスーツ「ドラッツェ」には、ボーナスパーツとしてガトリングガンパーツ(※それ目当てで3個買ったわ!積んであるけど!!)が付く。いったいなぜ、ガトリングガンは、これほどまでにガンダムシリーズ、いや、ガンダムだけではない、多くのアニメ、マンガなどのサブカル作品に登場するようになったのか。ガトリングタイプの武器は、いつから増え始めたのか。今回は、このテーマで語っていく。

 「機動戦士ガンダム」シリーズにおける、ガトリングタイプの武器は、第1作「機動戦士ガンダム」(1979年)に名前だけ登場している。それは、主役モビルスーツであるガンダムやガンキャノンの頭に搭載された「バルカン砲」である。バルカン砲というのは、アメリカ軍の開発したM61バルカンのことだ。これは口径20mmのガトリング型武器である。実際、その後あるイラストレーターが描いたガンダムの内部図解では、頭部内部にガトリング型機関砲が内蔵されている。

 ただ、これは正直、こじつけである。スタッフはおそらく、バルカン砲=ガトリング砲という認識ではなく、単純に連発式の機関砲という意味で設定されていたと思われる。これは現在でもそうで、機関砲のことをバルカンということが多い。劇中、バルカンは単に頭から「ドパパパパ」と連発される弾丸としか描写されておらず、放送当時世に出たRX-78ガンダム(と書かないと、どのガンダムか分からなくなります)内部図解でも単装砲にしか見えない。

 劇中の兵器デザインにおいて、ガトリングが採用されたのは、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988年)における、クェス・エア専用ヤクト・ドーガが最初である。このモビルスーツには、メガ・ガトリングガンという武器が装備されている。これがガンダムシリーズにおける、ガトリング武器の最初である。ただ、クェスがヤクト・ドーガで暴れる場面は劇中かなり短く、またヤクト・ドーガには同型機「ギュネイ・ガス専用機」があって、こちらはアサルトライフルを装備している。それに、クェスといえば、どっちかというとクライマックスで登場する「α(アルパ)・アジール」のインパクトの方が強かったため、意外と見落としがちである。

 翌年、「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」(1989年)では、RX-78NT1 ガンダムNT-1アレックスというモビルスーツが登場する。こちらの方が、ガトリング武器のインパクトとしては大きい。アレックスの両腕には、ガトリング機関砲が内蔵されている。このガトリング機関砲もインパクトある使われ方をしており、劇中次々敵をなぎ倒す(強そうな)ジオン軍の新型モビルスーツ・ケンプファーを蜂の巣にして倒してしまうのである。何より、脇役の敵MSではなく、ガンダムが装備しているのである。

※なお、余談であるがロボットアニメのガトリングガン初登場は、おそらく「機甲戦記ドラグナー」における、ドラグナーD2型のオプション装備、2連装ガトリングガンではないかと思う。違ったらごめん。

 1987年頃を境に、ガトリング型武器がガンダムなどのロボットアニメにおいて、小道具として出てきたのはなぜか。大体、バルカン砲の運用開始は1960年代からだ。なぜ、80年代後半からなのか。それは、ある映画が関係している。それは、「プレデター」(1987年)である。この映画では、登場人物がM134機関銃(ミニガン)を手持ちにしてぶっ放すというシーンがある。この機関銃、「地獄の黙示録」でヘリコプターに搭載されていたもので、早い話が戦車や戦闘ヘリに据え付けて発射するバルカン砲の小型版だ。当然ガトリング型武器である。生身の人間が携行して発射するというのはまずあり得ないのだが、フィクションはやってのけた。プレデターの前にガトリング型武器の登場するロボットアニメは見当たらないので(そもそもロボットアニメで、ロボットが銃型武器を装備したのはザンボット3からだ)まず「プレデター」の影響ということで間違いないだろう。

 ただ、その後、ガンダムシリーズでは、「ガトリング型武器」というものがいったん落ち着いてしまう。一応「機動戦士ガンダムF91」のGキャノンや、「機動武闘伝Gガンダム」のゴッドガンダムに装備されたマシンキャノンもガトリング型武器なのだが、それほど大きなインパクトがあったわけではない。やはりガトリングのインパクトといえば、「新機動戦記ガンダムW」のガンダムヘビーアームズの登場からだったと思う。

 それまでの「ガンダム」シリーズでは、「ガンダム」という名前のモビルスーツは前半の主役と、後半の主役(2号ロボ)くらいだったのだが、「機動戦士Vガンダム」あたりから、スーパー戦隊のような要素が取り入れられ、味方にガンダムがたくさんいるという状況が生まれるようになった。次の「Gガンダム」では、敵も味方もガンダムばかり(ほとんどガンダムしか登場しない。説明が面倒なのでWikipediaでどうぞ)で、その次の「新機動戦記ガンダムW」(1995年)では、まさしく戦隊もの、5体のガンダムが登場するのである。

 この5体ガンダム、オーソドックスなヒーローメカでまとめてきた「ウイングガンダム」以外は、くせ者でそろえてあって、偵察が得意なスピードガンダム(ガンダムデスサイズ)、重装甲のガンダム(ガンダムサンドロック)、接近戦の得意なガンダム(シェンロンガンダム。どうでもいいけど、シェンロンガンダムってドラゴンガンダムの没デザインを流用したような気がするんですがどうなんでしょう)そして、重火力重武装のガンダムが登場した。その重火力ガンダムが、ガンダムヘビーアームズである。

heavyarms1.jpg

 ガンダムヘビーアームズのインパクトは大きかった。左腕が丸ごとビームガトリングガンになるという設定も驚いたが、胸のハッチが開いてガトリングが出てくるというインパクトも大きかった。当時出た1/144スケールのプラモデルでも、胸部ハッチオープンギミックはばっちり再現されていて、リアル中学生の私を歓喜させた。

 さらに翌年の「機動新世紀ガンダムX」では、「ガンダムヘビーアームズ」の没デザインを流用した(としか思えない)「ガンダムレオパルド」が登場。このガンダムレオパルド、1/144スケールのプラモデルでも基本ギミックを再現の上、物語後半に出たパワーアップ機「ガンダムレオパルドデストロイ」もキット化が実現。2種類とも500円旧キットではあるが、当時としては高いクオリティで、ガンダムファンにしてガンプラファンであった私をさらに歓喜させた。その後のガンダム世界、及びゲーム、マンガ、フィクションの世界におけるガトリングガンの隆盛は前述の通りである。

 では、なぜこの90年代半ばから、ガトリング型武器が増えたのか。これには、もう1本の洋画の影響があると考えている。それは、1991年の「ターミネーター2」である。今でこそ「ターミネーター」シリーズは、外伝や続編でよくわかんない事態になっているが、1992年当時のターミネーター2は、神の映画だった。正直、今でも好きな映画の1本である。「ターミネーター」と「ターミネーター2」の2本は非常によくできた映画で、特に第1作のオチには、初見の時テレビの前で仰天した。

 「ターミネーター2」では、アーノルド・シュワルツェネッガー氏演じるターミネーターが、ガトリングガンを乱射するシーンがある。これのインパクトは絶大だった。もともとガトリング型武器は無骨で強そうなハッタリイメージがあったが、シュワちゃんが使うことでかっこよさがさらに倍増した。これの印象が、日本のメカニックデザイナーに影響を与えなかったはずがないのである。

 そもそも、洋画と日本のサブカルチャーというのは、非常に親和性が高いのである。ガンダムでいえば、初代ガンダム以降ほぼ全ガンダムが装備している「ビームサーベル」の元ネタは、「スターウォーズ」のライトセイバーである。ガンダムの生みの親、富野監督は「ブレードランナー」をインタビューでべた褒めしていたし、「時計仕掛けのオレンジ」や「2001年宇宙の旅」「博士の異常な愛情」などのスタンリー・キューブリック作品がガンダムをはじめとするアニメに大きな影響を与えていることもまた、事実なのである。洋画の洗練された映像表現は、常にアニメや漫画に新鮮な刺激を送り続けてきたのである。

 それはまた、「宇宙刑事ギャバン」がロボコップに、「電撃戦隊チェンジマン」の副官ブーバがプレデターに影響を与え、逆にそれらが「機動刑事ジバン」や「ブルースワット」のスペースマフィアになって帰ってきたということからも確かめることができる。

 そういう意味で、近年、日本での洋画の盛り下がりには、大きな危機感を抱いている。伝聞であるが、アニメやゲームの専門学校生でありながら、「アバター」も「ダークナイト」も見てない学生がいるらしい。確かに洋画を見たからって、いい作品が作れるクリエイターになるとは限らない。あんなに映画を見ていながら、実際に作ってみたら「シベリア超特急」って話もある。(でも私は好きですよ、シベ超。シベ超は映画じゃなくて、シベ超だと思えばいいんですよ、ええ)

 洋画というのは、我々の世界とは違う大きな刺激を与えてくれる存在なのだと思っている。邦画でも、SFXを駆使して以前より面白いSF映画が作られてきているが(ヤマトのことは忘れよう)やはりSF超大作は洋画の方が邦画より(たとえばガッチャマン)いい。

 今後も、日本のサブカルに、ある程度洋画は関わってくると思っている。だが、現在のような洋画の低下を見ていると、日本のサブカルは、新たな刺激を失い、かつてのアニメのパロディやオマージュだけでやっていく「オワコン」になりはしないかと危惧している。

 洋画の中で使われたガトリングを、日本のサブカルはうまく取り入れたと思っている。そして、今後とも、洋画のガジェットを効果的に取り入れて、よりよい作品を作ることが大切なのである。


1/10
Video game addiction ~ゲーム依存という病~

 もう13年前の話であるが、ある脳学者が「ゲームのやり過ぎは脳に悪影響を及ぼす。」という主張をして話題になった。「ゲーム脳」という言葉を覚えている人も多いだろう。はじめは大きく取り上げられ、賛同者も多くいたが、後に医学的根拠がなく、「疑似科学」であるとして、批判の的になった。「ゲーム脳」というのはSTAP細胞と同じくらいの確率で存在すると思うが、これが大きく取り上げられたのは社会的に「ゲームのやり過ぎは体に悪いはずだ」という漠然としたコンセンサスがあったからだと考えている。

※なお、あらかじめお断りしておくが、本稿で述べる「ゲーム」というものは、テレビゲームをはじめとする家庭用ゲームやスマートフォンのアプリケーションについてであり、将棋やトランプなどのゲームについては対象に含めない。

 確かにゲームのやり過ぎは体に悪い。目に優しいわけがない。体を使わない。脳は変に使う。事実、テレビゲームを1日4時間以上遊ぶ子どもは、1時間以下の子どもに比べて学力テストの得点が著しく低いことが報告されている。この報告のばかばかしいところは、ちょっと考えれば意外でも何でもないことだ。仮に学校から午後4時に帰宅したとして、4時間ぶっ続けでゲームをすれば夜8時。その間勉強をしてないのだから、学力に差が出るのは当たり前だ。そのうち、「1日6時間家で勉強する子どもと、1時間未満の子どもでは、学力に大きな差がある」みたいな報告もきっと出てくるはずである。

 同じくばかばかしい話が、「朝食を食べる子どもは学力が高い」というもので、実際朝食を食べた方が頭が働くから学校の学業に集中できるのだけれども、朝食をきちんと食べさせられるような規則正しい生活環境を用意できる家庭の方が学力が伸びるのは当たり前だ。早寝早起きとか、規則正しい生活習慣が学力に寄与する面は決して小さくないのである。

 では、ビデオゲームは全く問題がないのかというと、私は全くそう思わないのである。むしろゲームはよっぽど自律できる人ならともかく、子どもに与えるのは非常に危険であると考えている。「機動戦士ガンダム」の富野由悠季氏はビデオゲームについて「ゲームは麻薬だ」と述べているし、ガンダムが出てくるゲームのインタビューでは「なまじ(ゲームに)手をつけると、おそらく生活破綻者になっちゃうんで」と述べている。富野由悠季氏の感覚というのは非常に的確で、ゲームは麻薬的な存在であると私は考えている。

 麻薬と述べるとゲームが好きな人、ゲーム関係で商売をしている人の気を悪くさせることは百も承知である。だが、はっきり言わせてもらうと、ゲームには麻薬のような側面が存在することは、確実である。それが、ゲーム依存症という病を引き起こしているし、スマートフォンのゲームにおける「重度課金者」、つまりゲーム屋のカモを生みだしているのである。

 そもそもなぜ、ビデオゲームは依存性が高いのか。この話をしようとすると、ゲームを擁護する立場の人々から「いや、落語の時代にも囲碁や将棋にはまり込んだ人が出てくるではないか」という指摘が出るし、実際「文七元結」や「笠碁」はストーリーの中で囲碁が大きなファクターになっている。だが、囲碁や将棋の場合、ビデオゲームと大きく違う側面がある。面と向かって人間と遊ぶことだ。仮に、1日4時間、毎日同じ人と将棋や囲碁で遊び続けなさいと言われた場合、できるであろうか。相手にだって都合があるし、普通は途中で飽きて、「今日は熊さんのところでやるか」「明日は竹さんのところで打つか」なんて話になるだろう。そして、囲碁や将棋というのは、落語の世界では、町内における男たちのコミュニケーションツールとなっていた側面がある。インターネットの時代、画面越しにオンライン対戦しているのとは違う、生身の人間同士が丁々発止語り合いながら、相手の息づかいを感じつつ、勝負に没頭する。ビデオゲームと並列に扱うのは、どう考えても無理がある。

 また、前述の「コミュニケーションツールとなっていた側面」という部分では、「現代のこどもたちだってゲームを媒介してつながっている」というが、では公園のベンチで一斉にDSを向け合って「妖怪ウォッチ」に興じるこどもたちが果たして健全なコミュニケーションを培っているのか、はなはだ疑問である。

 話をゲームの依存性の高さについて戻す。元々ビデオゲームというのは、家庭用ではなく、ゲームセンターなどの娯楽施設や遊戯施設、あるいは喫茶店などに設置されたゲーム機が始祖である。喫茶店のインベーダーゲームという言葉でピンとくる人がいるかもしれない。あるいは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」のマイケル・J・フォックス氏が「ワイルドガンマン」で遊ぶ、あのシーンに出てくるような大きな筐体(きょうたい)をもつあれのことだ。さすがにあのサイズでは、家庭で遊べない。それをダウンサイジングし、カセットを交換することで幅広いゲームをプレイできるようにしたものが「ファミコン」などの家庭用ゲーム機なのである。

 商業施設に設置される筐体というのは、1回のプレイで50~200円程度の金額が必要になる。筐体はリースなのか買い取りなのかいまいち分からないのだが、なんにせよ設置するだけで電気代がかかるわけだし、設置の際の運搬費や保守点検整備費、ソフトウェアのアップグレードなど、いろいろコストがかかる。それでもなぜ設置するかというと、ある程度の収益が見込めるからだ。収益。つまり、お金を払わせて、遊んでもらう。この収益というのがミソである。

 アーケードゲームの場合、1回分のクレジットで全面クリアなんて芸当はまずできない。よっぽどやりこんでいるゲーマーさんならできるだろうが、そういう人はそのプレイ以前に車が買えるくらいのお金をゲームセンターに投資しているはずだ。私の大学時代の友人に、ゲームセンターでアルバイトをしていた人がいたが、その人はバイトが終わるとその日稼いだバイト代と同額くらい使ってしまったことが何度かあったという。実際、私も大学時代何度かゲームセンターに行ったことがあるが、クリアしたさについ連続でコインを投入し、気付いたら3000円くらいなくなっていたなんてことがあった。一度に3000円を払うのはためらうが、100円をその都度支払うというのは感覚が麻痺する。「ここまでステージが進んだから」なんて思うとついコインを入れてしまう。

 つまり、ビデオゲームというのはその始祖から、「いかに客に連続でコインを入れさせるか」ということに主眼を置いたプログラミングがなされてきたのである。1プレイ15分で全面クリアできてしまうようなビデオゲームは収益率が悪い。さりとてあまりにも難しく、「こんなんクリアできるかボケ!」と思われるゲームも当然収益が伸びない。1~2プレイくらいでファーストステージがクリアできるが、セカンドステージから徐々に難しく、気付けば手元の100円玉がなくなっていた…という経験があるが、まさしくこれは作り手(商売側)の狙い通りである。

 ステージもすぐ終わらない。次から次へと新しいステージが出てくる。当たり前だ。すぐ終わってしまったら、客が帰ってしまう。営業時間中、ひっきりなしに客が遊んでくれるゲームならともかく、だいたいのゲームは1回つかんだ客からある程度むしり取らないと収益が伸びない。結果的に、ビデオゲームというのは、「終わらせない」「もっと遊びたいと思わせる」、すなわち麻薬のような側面をもつことになったのである。

 昨今のスマートフォンゲームはより凶悪になっていると考えている。あれは「基本は無料」と謳ってユーザーを集めながら、課金という方法で次々お金をむしり取る仕組みになっている。以前このサイトでも論評した「艦隊これくしょん-艦これ-」は、当初は「あまり課金しなくても遊べるゲーム」として始まったが、ブレイクした後「大型艦建造」など課金要素を強める方向に舵を切った。それ以上に凶悪なのは、スマホゲームは「全面クリア」がないことだ。期間限定のイベントマップや、アップデートで新しいステージが用意される。あるいは、新キャラクターや新アイテムが登場し、ユーザーの射幸心をくすぐらせる。クリアしたらやめられるゲームもあるが、クリアしなければやめられないのだ。はっきり言えば、スマホゲームは終わりのないマラソンをやっているようなものなのである。

 私は、幼児および学齢期の児童にビデオゲームを与えるのはとてつもなく危険だと考えている。理由は前述の通り、ゲームは「終わらせない」ことが前提で設計されているからだ。大学生の私でさえ、アーケードゲームを終わらせるのに3000円を浪費してやっとやめられるのだから、精神的に弱い子どもたちにとって、「もういい加減やめなさい!」なんて母親の金切り声だけでビデオゲームがやめられるわけがないのである。時間とお金を大量に、ゲームに費やす事態になりかねない。

 これで「ビデオゲームで時間とお金がなくなる」だけであれば、それで済む話なのだが、もっと重要な話がある。それは、現在の日本や世界の状況である。企業がグローバル化によって国際競争力を強いられ、結果としてブラック化して正社員に負担を強いる一方、雇用を非正規で代替してコストダウンを進めている、という話を以前書いた。今後この流れはますます加速し、ワーキング・プアの若者はますます増えると考えている。では、ワーキング・プアに陥らないためには何が必要なのか。結論から言うと、学力なのである。学力格差が収入格差になり、階層格差になっている。ここは新聞じゃないからはっきり書くが、お勉強のできない人が貧乏に陥る時代になっているのである。

 学力が低い人は、自ら学習してこなかった人だから、自己責任である。したがって、貧困は自己責任である。こういうロジックは、ちゃんと学問に取り組み、ある程度の知恵を獲得し、それなりの地位を得た人々にとってある程度の説得力をもつ。しかし、ビデオゲームに興じる子どもは、「将来貧困にあえぎたいからゲームで遊んでいる」わけではないのである。大人たちが考えずに買い与えるから、遊ぶのである。「ちゃんと時間を決めて遊ぶから」なんてできるわけがないのに、買い与える。結果、麻薬のような常習性と依存性を強め、新しいソフトウェアを求めてしまう。行き着くところは貧困なのである。

 私自身、苦い経験がある。中学校3年生の秋、友人に借りた「第四次スーパーロボット大戦」で、親の目を盗んでは遊びまくった。結果、成績は高校受験を前にがた落ち。進学する高校も、県内トップの高校から、ある程度下げざるを得なかった。高校時代は、セガサターンとパソコンゲームで遊びまくった。あの3年間、学問に励まなかったことを未だに悔やんでいる。その後、少しでも取り戻そうと学問に励んで何とかここまで挽回できたが、それができたのは「中学3年生の夏まではしっかり勉強していた」という土台があったからだ。もしも小学校低学年の頃からファミコンで遊びまくっていたのなら…今のような文章力も、洞察力も、思考力も獲得できなかったはずだ。小学校当時、ファミコンを買い与えなかった両親にふて腐れた発言をしたこともあったが、今では「ファミコンを買い与えなかった」両親の慧眼に心から感謝している。と、同時に、「あそこでゲームに興じていなければ、もっといい人生を歩めたかもしれないなあ」という思いも抱えている。たぶん、「あそこで学問に励み損ねた」という後悔は生涯消えることはないし、今、何かの敵みたいにあれこれ調べて考えて書くことをしているのも、コンプレックスがバネになっている面があると思う。

 そして、現在の貧困問題というのは「階層格差」「収入格差」あるいはブラック企業問題といった、大人の収入であるとか、雇用側の問題として語られることが多い。ここで大きなことを言わせてもらうと、ビデオゲーム依存症による学力の低下に伴うワーキング・プアなんて切り口でぶった切ったライターはこの世の中で私一人である。ゲームという麻薬が、その子どもの将来を貧困に落とす側面がある。子どもにゲームを買い与える大人たちは、そのことを覚悟して買い与えていただきたいと感じずにはいられない。


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BASE CAMP~基地の存在意義~

 前回の記事が一部で話題になった際に、Twitterで「なぜ原発と基地がなくならないのか」という原稿をリクエストされた。次の原稿はガンダムネタでと思っていろいろ準備をしていたのだが、ガンダム関係の原稿はだいたいみんな似たような原稿になるので書く気が起きず、結局隙間産業というか硬派な原稿ばかり手がけてしまう。今回はリクエストされたもののうち、基地の話だ。

 戦争とか、平和について、いろいろ考える機会がある。この国に生まれたと言うことは、必然的に戦争の記憶というものを受け継ぐ宿命を背負うわけで、歴史に興味ない人だって、向こう4年の間に憲法改正という話になれば多かれ少なかれ、戦争と平和について、考えることになる。だが、哀しいかな、この国で平和の語り部は十分であるが、現代の戦争の語り部というのは、残念ながら誰もいない。そして、平和の語り部がそのまま戦争を語る。だから頭のおかしな話になる。

 先に言わせてもらう。この国の、マスメディア、ジャーナリズムにおいて、戦争を語る文化人、知識人、政治家、芸術家、ほとんどすべての人々は戦争について述べる資格も知識ももっていない。はっきり言って戦争のことを知らないくせに戦争のことを述べている。太平洋戦争ですら分かってないのに、悲惨だったというただ一点だけで戦争について述べる。それはそれは、戦争より平和がいいのだから、一見説得力はある。だが、広まるわけがない。平和を愛する自称リベラルと左翼のビニ本としてマスターベーションの役には立つかもしれないが、それはあくまでも朝日と岩波を愛する人の話である。朝日も岩波ももはやイデオロギーとしては「古い」わけで、それが古くなってしまったのは漠然とした平和を語る言葉だけで、人々の心を買うことはできなくなった、ただそれだけである。戦争を知らないやつが戦争を語る。そんな詭弁はもはやインターネットの時代において通用しなくなっている。それにもかかわらず、メディアは戦争を知っている人にマイクを渡さない。戦争を知ってる人は、戦争が好きで、戦争をやりたがっているという野獣で、知性の欠片もなくて、下品で下劣でそんな奴らをメディアの表舞台に立たせることは許されない。そういう旧態依然としたメディアの思い込みが真に戦争を知る人を、戦争について語らせない。結果、戦争について誤った知識だけが広まり、「希望は、戦争」というくらくらしそうな言葉が出てきたり、「今こそ日韓、全面戦争を!」みたいな話になってくる。戦争を知らない人が戦争について語り、その反発から戦争を知らない人が戦争を推し進める。戦争とは何なのか、なぜ戦争は起きるのか、戦争の何が問題なのか(単純に人が死ぬから、だけではなく)、戦争のイロハも知らない人が戦争を語る。そのことがこの国の現在において、大きな影を落としていると言っても過言ではない。

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 そもそも戦争は賛成か反対か…という愚問を述べる前に、そもそも日本は宿命的に戦争が不可能な国家であるという、軍事的知識が少しでもある人なら当然の話をしよう。この話を書く場合、軍オタは至極まっとうな話なので「馬鹿か」と私を攻撃するのだろうが、こういう当然の話を多くの人が知らないから話がおかしくなるのだ。

 戦争をする場合、資源を消費することになることは、多くの人にとって理解できると思う。では、具体的にどのような資源が必要であるのか、考えたことはあるだろうか。だいたいの人がこの質問をすると「石油ですよね!だって、日本じゃ石油がとれませんものね!」などとしたり顔で答える。OK、正解だ。では、他には?3つ以上答えられたら合格である。ちなみに以前この質問をある人にしたら、2番目に出た答えが「ウラン!」だった。一応、電気エネルギーの発電用という意味では間違いではない。「なんで?」と聞いたら、「だって爆弾に使うから…」だそうだ。いきなり核戦争突入である。無知は実に恐ろしい。

 答えは石油以外では、鉄鉱石、硝石(硝酸でもいい)、硫黄、ボーキサイト。では、この5つの中で、日本だけで十分まかなえるものは何だろう。答えは硫黄。なぜ?日本は火山国家だからだ。硫黄だけは余りまくっている。ところが、石油はもちろん、鉄鉱石も、硝石も、ボーキサイトも、この国からは全くといっていいほど産出されない。これはおそらく社○党議員全員と、共○党議員の9割と、民○党議員の半分が答えられない問題である。それくらいこの国の政治家は戦争のことを分かっていないのだ。漢字の読み方とかカップ麺の値段尋ねる前にこういう話をしないといけないのだ。本当に馬鹿ばっかりだ!

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※画像と本文には本当に何の関係もございません!

 鉄鉱石は鉄鋼の原料である。知り合いにこの話をしたら「日本に鉄あるじゃん。砂場の砂鉄」という返事が返ってきた。現代戦をするのに日本全部砂場にして、磁石で遊べというのか。硝石と硫黄は火薬の原料である。今はあまり戦争で使われないが、黒色火薬の場合、木炭と硝石、硫黄を配合する。この話をすると、ちょっと日本史に詳しいある人に「だけど戦国時代は便所や家畜の糞尿から硝石を作ってたんだろ?日本でも産出できるぜ。」と言われた。京都の人は戦前を応仁の乱だって言うとかいう都市伝説あったけど、日本人の兵站感覚は戦国時代のままだったわ!ボーキサイトは…何になるか知っているか心配になってきたがアルミニウムの原料だ。ただボーキサイトからアルミニウムにまではちょっと手順があって、簡単に言うと電気分解しなければならないので大量の電力を必要とする。発電は、戦前でこそ石炭を使っていたが、今は火力(石油や天然ガス)メインだし、再生可能エネルギーのような天候に左右される発電方法は継戦能力において大きな問題になる。つまり、資源という側面において日本は戦争をすることが非常に困難な国家である。憲法を変えるの変えないの以前に、戦争をすることは不可能なのである。にもかかわらず「明日、戦争が始まる」みたいなストーリーが流布されていて、戦争のことを知らない人がああだこうだ、本当に迷惑極まりない。平和の方がいいのは十分分かったから、「ピースとハイライト」でも歌ってていただきたい。

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※くどいようですが画像と本文には本当に何の関係もございません!

 さて、このように戦争について語る人々がいかに無知で戦争のことが分かっていないかということと、日本が資源的に戦争がそもそも不可能であるという話を書いてきたわけだが、日本が日米安全保障条約を締結し、米軍基地をはじめとする基地から縁が切れないことと、前述の資源問題は密接に関係している。つまり、日本単独での防衛計画を立てることは、資源的問題から非常に難しいのである。日本だけで国土を防衛するのに足りる資源を確保するというのは、かなり難しい。備蓄しろという人がいるけれども、1941年に「アメリカと十分戦える資源は備蓄しましたんで」と始めた戦争は、最後どのような末路をたどったか、今更書くまでもない話である。だいたい、戦争を前提に大量の資源を備蓄するというのは、それこそすぐ戦争になるならともかく、戦争が起きない場合、備蓄する土地や維持管理のコストが馬鹿にならない。現在の政治家がどれほどこの「資源的に継戦能力がない」ということを認識しているかは分からないが、少なくとも戦争を経験した世代の政治家は十分に意識していた。その結果、日本の安全保障はどのようになったかというと、兵力のアウトソーシング、つまり日米安全保障条約に伴う米軍への外注という方法を採用するのである。

 また、日米安全保障条約に伴う日米同盟は、日本にとってアメリカとの今後の戦争を回避できるという大きなメリットが存在した。一時期陸軍悪玉論というのが流行して、太平洋戦争は全部陸軍が悪い!海軍はよかったのに!という話があって、確かに満州事変を引き起こした関東軍、特に石原完爾こそ日本を戦争に巻き込んだ主犯であることは間違いないのであるが、海軍も十分悪玉である。戦前の海軍は、日本海側を制圧したため、太平洋に膨張し、アメリカを仮想敵国としたために緊張が高まったのである。アメリカ側と友好関係を結んでしまえば、今後海軍力を太平洋に振り分ける必要がなくなる。日本海側に中国、ソ連(ロシア)、北朝鮮が存在することを考えれば、大きなメリットである。そして、アメリカにとっても、アラスカと接するソ連(ロシア)を別にして、日本を友好国にすることで西側に接する異国がほぼなくなるという大きなメリットがあった。

 アメリカのメリットはもちろん、これだけではない。中国とソ連(ロシア)に、これほどまでに肉薄できる場所に、前線基地を設けることができるのである。これは日本に住んでいるほとんどが意識していないことだが、日本という国は太平洋を隔ててアメリカに、日本海を隔てて中国とロシアに接している。世界に様々な国があるが、ここまで大国に接している国家というのは、存在しない。また、接している国家が日本の場合、すべて異なる文明に属している。ハンチントンは「文明の衝突」において、文明の断層線で紛争が起きることを指摘しているが、日本の場合断層線だらけなのである。

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※Wikipediaより引用

 したがって、日本は資源的に戦争遂行能力はないものの、地政学上戦争に巻き込まれる危険性が大きい場所に位置している。だから、安全保障政策は日本の生命線ともいえる大きな問題なのである。そこでかつての政治家たちは、単独での防衛戦力維持を断念し、経済発展を重視し、同盟という形でアメリカに防衛力を依存することで日本の防衛費を削減し、現在の発展の礎を築いたのである。なお、米軍の駐留に伴う日本側の負担は7000億円である。これをリベラルなマスメディアは「日本国民から搾り取った」と喧伝するが、国家予算というのは人口で割った金額で考えないといけない。日本の人口をおよそ1億人として、7000億÷1億=7000円である。つまり、一人年間7000円の負担で、日本の安全保障上の問題を解決しているのである。これが単独の防衛力維持だった場合、7000億円ではすまない金額が必要である。こういうことを述べると「いや、非戦の誓いがあれば」などと言い出す人々が出てくるが、現実的な安全保障政策と、理念としての平和は当然一致しない。現実、領海に接する大国があり、その大国の政情は不安定であり、覇権主義による領土的野心があり、それに伴う安全保障上の危機があり、思想的な文明が異なる場合、それでも非戦と武装解除で平和が保たれる保証があるならば、私だってそれに賛同する。

 それでもなお、「いや、しかし、中国やロシアが日本を占領するわけがない」と主張する人々がまだいる。そういう人は、地図を読んだことがない人か、読めない人である。この画像を見てもまだそんなことが言えるだろうか。

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日本列島と沖縄諸島で、日本海と東シナ海を湖のように分断できるのが分かるだろうか?

 日本列島は中国にとっても、ロシアにとっても戦略上の重要拠点になるのである。ロシアにとっても、中国にとっても、日本列島は占領できるならば絶対に占領したい土地なのである。なぜなら海上覇権を握る上で、日本列島は大きな存在なのである。ロシアは日本を占領すれば、中国を牽制できるし、当然中国はロシアを牽制できる。大国にとって近くの大国を牽制できる、これほど魅力的な土地は存在しない。北方領土の返還が難航しているのは、四島返還にこだわっているからということもあるだろうが、歯舞諸島や色丹諸島だけでもロシア海軍の展開に影響が出かねないというロシアの安全保障上の問題があるし、尖閣諸島にこれほど中国が拘泥するのは、当然地下資源ではなく沖縄に駐留する米軍の出鼻をくじける戦略上の重要拠点がほしいからである。森達也氏は、領土問題の解決策として、経済的な見返りによる割譲という方法もあるのではないかと述べているし、実際安全保障上の問題のない地域でそういった解決方法をとった場所もある。だが、日本の領土問題の場合、大国の安全保障戦略という問題があるわけで、森氏のような解決方法はほぼ不可能である。

 当時共産主義国家だったロシアと中国に占領されるくらいなら、自由主義国であるアメリカの方が、政治形態が近い。まだマシである。だから、日本は米軍駐留という道を選んだのである。

 前述の画像をご覧いただければ、北海道や青森、あるいは沖縄に基地があり、そこがなくならない理由は一目瞭然である。ロシアの南下、あるいは台湾海峡、朝鮮半島、アメリカにとって何かあればすぐ動ける位置に基地が存在する。米軍の新兵器オスプレイが危険であるからと反対している人々の中に、オスプレイの作戦行動半径が中国やロシアにとって脅威であるから、彼らの尖兵となって抗議行動をしているとおぼしき人々がいる、というネット上の流言飛語も、ある種説得力があるのも「日本にある米軍基地が邪魔な国は、中国とロシア」という厳然たる事実があるからだ。

 さらに言えば、厳しい冬の環境にさらされる北海道や青森、離島という都合上沖縄では、製造業の拠点を築くということが困難であるという悲劇も存在している。日本は戦前は綿花や繊維産業を中心とした軽工業、戦後は自動車産業を中心とした重工業国家であるが、北海道・青森・沖縄の主要産業は農業あるいは観光業というものであり、どうしても第二次産業の拠点になりにくい事情があった。地域経済において、基地が切り離せない部分が確かにあるのだ。基地が存在することによる経済的な見返りは、地域にとって大きな魅力である。こういうことを述べると「カネで人の心は買えない」という指摘があるし、実際その通りなのだが、基地がなくなった場合の経済的損失は非常に大きい。国家は百年の大計というか、先々を見据えて国作りをしていかなければならないが、庶民というのは今日と明日の食い扶持が重要である。米軍基地反対運動を展開する人々を「よそ者」と揶揄する動きがあるのも致し方ない面がある。

 哀しい結論を述べると、基地は残る。この先も存在し続ける。日本という国がこの場所に存在し、近隣に異なる文明の国家が存在し、その国家の政治形態が不安定である以上、基地と縁を切ることは不可能である。せめてもの贖罪ではないが、基地は地域に潤沢なカネを落とす。それによって地域は潤う。だから基地の町に住む人は、これからも基地を複雑な思いで見つめることになる。

 もちろん、「それでいいのですか」と問われると、なかなか返答に困る。いいわけはない。軍隊というのは、現代においては災害復旧の特殊レスキュー隊や、国際貢献という副次的な機能をもたされているが、本質的には(極論だけど)人を殺すための組織である。だが、存在しなければいいのかというと、そんなことはない。無防備都市にすればいいのだという発想は、ごく一部の夢想家だけが採用できる理論である。

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※画像と本文にはやっぱり何の関係もございません!

 かつてジョン・レノンは「想像してごらん、国なんてないって」と歌ったし、実際あの曲はいい曲だと思うが、現実問題国家は存在し、文明は存在する。しかも、この国は安全保障上危うい場所に存在している。その中で、どのように政策を運営し、国家を作っていくのか。これは、戦争を知らない人が騒げば騒ぐほどおかしな方向に動いていく。

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※改めて述べますが画像と本文には(ry

 確かなことは、分からないことを漠然と「戦争は嫌だ」「平和がいい」という原理原則だけで議論を進めてはいけないのだ。基地をどうしていくのか、安全保障をどうしていくのかという問題は、まず「知る」ことから始まる。そこから考えなければいけない。

 そして、現状マスメディアに戦争のことを知る人は、誰も出てこない。そんな状況で、日本人に戦争のことを考えろというのは不可能である。だから私も何も言わない。仕方がない。日本人は戦争に対して懲り懲りなのだ。だから戦争を考えなくなったのだ。戦争を考える人は好戦的としてアカデミズムからもインテリゲンチアからも排除されてきたのだ。一部ネット上に「軍事オタク」として生き残っているだけで、そういう人の声は当然メディアは無視するのである。そういう人への反発から「戦争推進!」などと威勢のいいことを言う人にも反吐が出そうになる。戦争による国土の荒廃と国力の衰退、国際政治上の発言力低下、様々な影響を考えないで、ただの反発から戦争を語る。引っ込んでていただきたい。

 だからこの原稿だって労力はけちらず書いたが、もう諦めている。読まれたところで何も変わらない。大河に小石を投げて流れを変えようなんて無駄なことはしたくない。

 だけど書いた。それはなぜか。戦争を知らない人に一言言いたかったからだ。この際だからはっきり言ってしまおう。









































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 あーすっきりした。ざまあ見やがれこの野郎。漆にかぶれちまえ。それが嫌なら戦争についてもっと考えやがれこんちくしょう。